場所の話
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英語、アメリカに渡ってイギリスで使われていた形から変化するんだけど、それはもともとそこにいたインディアンの言葉の影響を受けたという。
江戸はもともとは東北の入り口として存在していて東の文化を色濃く持っていて、その文化の上に江戸城が築かれた。明治維新以降は江戸城の上に皇居が移された。天皇制は中国を手本に形式的に整えられたものとして日本に持ち込まれ整えられたが京都から江戸に移ったことでもともと持っていた土着的な部分が、目に見える形として色濃く現れるようになった。
NHKで北海道と松浦武四郎の番組があった。北海道の地名にはアイヌ語がたくさん残されている。アイヌは文字を持たなかったので歴史や知恵がその風景や地形に名前として残された。 マクニールはその著作の中で、国というのはイデオロギーが変わっても政治が変わっても、その国の根本的な部分は変わらないと言っていて、ロシアはソビエトの時代も帝政ロシアの時代もなにも変わっていなくて、中国も孔子の時代からも全然変わっていないと言っていた。つまりそこに住んでいる人たちは変わらないということ。 大航海時代にも、電信が発展した時代(ヴィクトリア朝のインターネット)にも、航空機が発展した時代(ジェットセット)にも、そしてインターネットが発展した現代でも、世界共和国が夢見られたけども、そんなものは実現されなかった。人間というのはその在る場所(風景、地形)、在った場所(風景、地形)によって大きく規定されているらしい。 インターネットにも場所(風景、地形)というものがあるなら、自分はやっぱり tumblr, もしくは reblog に大きく規定されているに違いないと思う。