回心
回心
回心(かいしん、英: conversion)は、神に背いている自らの罪を認め、神に立ち返る個人的な信仰体験のことを指す。日本語訳の「回心」はキリスト教の用語として作られた造語である。ただし、他の宗教での類似の体験について一般的に用いられることのあることもある。
日本語の回心の語は、日本基督教会の指導者植村正久の福音新報で、英語のコンボルジョン(コンバージョン)の訳語として、最初に用いられた造語である。
旧約聖書では「シューブ」(「向きを変える」「帰る」の意味。)と「ナハーム」(悲しみの感情を伴って悔い改める)というヘブル語が用いられる。新約聖書では「エピストゥレフォー」(方向転換して戻る)と「metanoeo メタノエオー」(悔い改める)というギリシア語が用いられる。名詞形が μετάνοια,metanoia「悔い改め」である。
ジェームズ・P・ハニガンは、個人の回心はキリスト教の根底にある経験であり、中心的なメッセージであると記し、キリスト教の回心は認知的・心理的な「不均衡」によって「バランスを崩す」経験から始まり、その後に意識の「覚醒」と神への新たな認識が続くと付け加えている。ハニガンはそれを「死と再生、背を向けること、古いものを脱ぎ捨てること、心と心の変化」に例えている。人は、個人的な迷いと罪深さを認め、告白し、聖性への召命を受け入れることでバランスを取り戻す。この最初の内的回心の後には、回心のプロセスを促進する実践が続き、ハニガンによれば、そこには倫理的な変化も含まれる。
ハニガンは、新約聖書におけるペテロの回心やパウロの回心といった回心の事例において、共通の「死と再生」の経験が見られると指摘する。ハニガンは、これらの人々は罪悪感からではなく、神の存在として認識したものに対する畏敬の念、崇敬、そして聖なる恐れから反応したと述べている。 21世紀初頭の比較研究は、宗教的回心は、より適切で真実と思われる宗教的行為を受け入れることを通して、自己定義、道徳的権威、そして社会的アイデンティティの新たな拠り所を提供するという洞察を与えている。