四人称
四人称(よにんしょう、よんにんしょう)とは、言語における人称のひとつで、一人称・二人称・三人称以外の何らかの人称を指し、言語によってその指す内容が一定していない。第四人称ともいう
アイヌ
アイヌ語の人称表示に関する研究において、1 人称と包括人称(1+2 人称)の扱いは従来から議論の中心となってきた。本稿では、アイヌ語十勝方言における 1 人称と包括人称の用法に関し記述的な分析をおこなう。さらに、アイヌ語における人称代名詞と人称接辞の対応について、包括人称の用法の拡張という観点から考察を試みる1。 藤井貞和の評論集『人類の詩』(思潮社、2012.10)を読んでいて「四人称」という言葉に出会った。「一人称」「二人称」「三人称」までなら誰もが知っているところだが、アイヌ語にはそのどれとも違う「四人称」というもうひとつの人称が存在するというのである。まずは、この「四人称」について同書中で最もわかりやすく説明してある箇所を引いておこう。 たとえば、「僕は、今日、顔を洗うのを忘れて学校に行きました」。この「僕」は一人称ですよね。ところが、「友達が言ってたよ、『僕は、今日、顔を洗うのを忘れて学校に行きました』って」となりますと、これは引用で、この中の「僕」というのは一人称でなくなる。別の人称で呼ばねばならない。これが四人称です。
「引用と人称(四人称をめぐり)」
その櫻井さんが修論をベースにした『フィロソフィア・ロボティカ』(毎日コミュニケーションズ,2007年)という単行本を出されていて,その本の最後の方に,「四人称」という言葉が出てきます.それはアイヌ民族が使っていた言語の中に認められるものだそうで,具体的には「一人称複数(私たち)」と「三人称(彼ら)」を足したような言葉なのだそうです.イメージとしては「大自然を含めての私たち」みたいな感じですね. そして櫻井さんは,情報空間が発達した現代社会においては,この「四人称」の存在がすごく重要なものとして立ち上がってくるんだと指摘しているんですね.ネット空間はそれこそ広大で,基本的には匿名的だし,すごく真っ平らでみんなが注目すべきランドマークもない.誰もが放ったらかしにされるような広大なフロンティア(開拓地)みたいな場所です.そういうネット空間においては,人々はそれぞれの認知(眼差し)を束ねる帰属先として,第三者的な人称を求めるようになる.それがまさに(アイヌ民族の言う)「四人称」なのではないか……というのが,櫻井さんの考えなんです. 櫻井 そもそもそれはプライオリティーの問題で、第一義的に私がいて、第二義的にあなたがいて、それ以外は第三義的な世界として処理してしまいましょうというのが、三人称的な世界ですよね。でもそれがあまりにもピンときていなかったので「四人称はなぜないのか」ということがわからなかったんです。マルティン・ブーバーという人が書いた本の中で、「我と汝」という本があるんですが、わたしというものがいたとき、世界の認識方法は《われーなんじ》か《われーそれ》という二つしかなくて、認識はその二つの関係性において成り立っているという話なんです。それは当時の僕の認識でいうと、スカラ量ではなくてベクトルで考えようということでした。「私がいてあなたがいて彼がいる」ということではなくて、「私からあなたに伸びてるこのベクトルという世界の認識方法」と「私からあなたに伸びているベクトル以外の事物に伸びているベクトル」というような。この「認識の方法には二つしかない」という考えを知ったとき、自分が人称代名詞の世界がわかった日に立ち返って考えてみて、英語で考えているから認識方法がその二種類しかないんじゃないかなと、若干トートロジカルな感じがしたんです。
瀬名 そもそも日本語で、彼や彼女という代名詞って本当は使わないですからね。
櫻井 僕も九歳まで日本で生活していましたが、そういうこと(人称代名詞)をあまり認識しませんでした。
瀬名 子供のときは特にないですものね。
櫻井 そうですね。だから「私やあなたは代名詞に入るんだ」という、私とあなたって言葉にしてもそういうような引き出しに入ってないような気がしたんですよ。先ほどのカツオノエボシと関連して考えていたのが、アイヌ語には四人称っていうものがあるらしいということなんです。
瀬名 それは初めて聞いたんですが、それは何かの本に書いてあるんですか?
櫻井 アイヌ語の方言についてひたすら調べたときに知ったんです。いくつかの部族でも違うんですが、一部の部族、名前は忘れてしまったんですけれども、ナントカ地方という谷間に住んでる人たちの部族にある、特定の概念なんです。不定人称格というような名前で呼ばれるらしいんですけれども、それを別名四人称と呼ぶそうです。
瀬名 不定人称格……誰のものとも知れない人称ということですか?
櫻井 そうです。どうもその説明を読む限りだと、一人称複数と三人称複数を併せ持った概念らしいんですよ。不定人称格には四つ説明があって、それがとても面倒くさいんですけれども、そのうちの一番わかりやすいものは、一人称複数と三人称複数を合わせてひとつの格、四人称格っていうのに入れているという考えなんです。これは完全に僕の想像ですけど、多分カムイの概念とかがそこに入ってくるのかなという感じがしたんですね。カムイはアイヌ現地語の神です。熊は神であり、熊を食べると我々もその一部だとか書いてあるんですけど、読んでもよくわからないんですね、その神話の感覚は。でもそれがわからないのは、僕らが三人称で考えてるからで、四人称的に考えればそれは何の問題もなく受け入れられることなのかもしれないです。四人称に属する領域における、我々であり彼らであるところのもの、という感じなのかな、と漠然と考えていました。 我々であり彼らであるところのもの