周縁国、小国の文芸翻訳
周縁国、小国の文芸翻訳
いまアウグス・ガイリというエストニアの作家の『トーマス・ニペルナーティ』という長編小説を読んでいます。Googleで作家の名前(カタカナで)を検索しても何も出てこないので、ほとんど(というか全く)日本では知られていない人だと思います。(August Gailit: 1891年〜1960年)
エストニア文学
トーマス・ニペルナーティ
この本の原著はエストニア語で書かれていますが、わたしが読んでいるのは英語版。アマゾンで探しても、英語版以外のものは見つかりませんでした。出版が1928年なので、そしてエストニア語は、世界的に見ても話者の少ないマイナーな言語なので、まあそんなものかなとは思いますが。
エストニア文学はこれまでほとんど日本語になっていません(本稿の下に注釈あり)。去年、河出書房新社から、アンドルス・キヴィラフク著『蛇の言葉を話した男』という小説が出版されたのが、(少なくとも近年では)初めてではないでしょうか。384 頁という大部の本で、価格も3960円と知られていない作家という意味では、誰もがすぐに手を出せない敷居の高さがあります。でもアマゾンでは複数の高評価のレビューがありました。
アンドルス・キヴィラフク「蛇の言葉を話した男」
河出書房新社
YouTubeでこの本をめぐるトークショーを見たのですが、そこに出席していたエストニア出身で日本文学研究者の松浦マルギスさんは、「エストニア語と文化が今も残っているのは奇跡に近い、これからも残っていくかどうかわからないという危機感がある」というようなことを話していました。それはエストニアが歴史的に複数の大国の支配下に長くあったことや、人口が130万人程度(そのうちエストニア語話者は88万人強)と小さな国で、いわゆるヨーロッパの周縁国(peripheral countries)に分類され、GDPも300億ドル程度くらい(ドイツが4兆1200億ドルであるのに対して)と、非常にミニマムな属性をもつことからくるのでしょう。
エストニア語話者は88万人強
話者が100万人に満たないというのは、日本のような1億人以上の人が同じ言葉を話している国から見ると、ちょっと想像を超えているところがあります。わたしの読んでいる『トーマス・ニペルナーティ』がアマゾンでは英語版しかない、というのも、商業的見地からは理解できます。
しかしエストニアの作家は、エストニア語で小説を書いており、さきほどの『蛇の言葉を話した男』も原典はエストニア語です。ただ河出書房新社の日本語訳は、フランス語からの翻訳とのことで、いわゆる重訳になっています。エストニア語 → 日本語の、それも文芸翻訳ができる人で、さらにはこの作品に適した人を見つけるとなると、至難の業だと思います。
エストニアの作家は、エストニア語で小説を書いており
重訳
エストニア語→フランス語→日本語
エストニア語→英語→日本語
英語は中間言語
アイスランドの文学の話が載っている
それは地球上で最も小さく、最も孤立した文学共同体である、とのことだった
インターネットを介した全世界的文学と対比させている
これは翻訳の話でもある
翻訳 translation は「越えて運ぶ」という意味
翻訳(英語の「トランスレーション」は「越えて運ぶ」という意味)は難業であり、うまくいかないことが多い。
20世紀で最も重要な作家を挙げろと言われれば、カフカの名前が必ず入るだろうが、カフカの小説(未完)の最初の英訳はその死後10年は出なかった。カフカの主作品はさらに時間がかかったし、まだいくつかの重要な言語での翻訳はこれからだ。たんなる時差ではない。どんなに優れた翻訳家であろうと、そして翻訳によって作家の収入も名声も格段に上がるという事実があろうと、翻訳とは本質的に欠陥を孕むものなのだ。
アンソニー・バージェス――作家であると同時に語学にも通じていた――は、「翻訳とは、言葉の問題だけではない。文化そのものをわかるようにする仕事なのだ」と述べている。
詩とは翻訳で失われるもの
アメリカ人詩人ロバート・フロストが言ったとされる名文句もある――「詩とは、翻訳で失われるものなり」。
あえて小さな世界で生き書こうとする作家たち
文学はどんなときもきわめて多様であるため、いかなる一般化もすることはできない。小さな世界で生き、書こうとする重要な作家たちもいる。
1978年のノーベル文学賞受賞者のアイザック・バシェヴィス・シンガーはその小説をイディッシュ語で、自分が住むニューヨークの小さな共同体の数千人のために書いた。「数少ないがふさわしい聴衆」と、ミルトンが述べたとおりである。