名前と存在
名前と存在
ミリンダ王はナーガセーナ長老とあいさつをかわし腰を下ろしてから、ナーガセーナ長老に名を尋ねる。ナーガセーナ長老は、自分は「ナーガセーナ」と世間に呼ばれているけれども、それはあくまでも呼称・記号・通念・名称であって、それに対応する実体・人格は存在しないと言い出す。
ミリンダ王は驚き、実体・人格を認めないのだとしたら、「出家者達に衣食住・物品を寄進しているその当事者達は一体何者なのか、それを提供されて修行している当事者達は一体何者なのか、破戒・罪を行う当事者達は一体何者なのか」「善も、不善も、果も、無くなってしまう」「ナーガセーナ師を殺した者にも殺人罪は無く、また、ナーガセーナ師に師も教師も無く、聖職叙任も成り立たなくなってしまう」と批判する。更に、では一体何が「ナーガセーナ」なのか尋ね、「髪」「爪」「歯」「皮膚」「肉」「筋」「骨」「骨髄」「腎臓」「心臓」「肝臓」「肋膜」「脾臓」「肺臓」「大腸」「小腸」「糞便」「胆汁」「粘液」「膿汁」「血液」「汗」「脂肪」「涙」「漿液」「唾液」「鼻汁」「小便」「脳髄」、「様態」「感受」「知覚」「表象」「認識」、それらの「総体」、それら「以外」、一体どれが「ナーガセーナ」なのか問うも、ことごとく「ナーガセーナ」ではないと否定されてしまう。
嘘言を吐いていると批判するミリンダ王に対し、ナーガセーナ長老は、ミリンダ王がここに来るのに、「徒歩」で来たか、「車」(牛車)で来たか尋ねる。「車」で来たと答えるミリンダ王に対し、ナーガセーナ長老は「車」が一体何なのか尋ねる。「轅(ながえ)」「車軸」「車輪」「車室」「車台」「軛」「軛綱」「鞭打ち棒」、それらの「総体」、それら「以外」、一体どれが「車」なのか問われるも、ミリンダ王は、それらはすべて「車」ではないと否定する。
先程の意趣返しのように、ミリンダ王は嘘言を吐いているとからかうナーガセーナ長老に対し、ミリンダ王は、「車」はそれぞれの部分が依存し合った関係性の下に成立する呼称・記号・通念・名称であると弁明する。それを受けて、ナーガセーナ長老は、先程の「ナーガセーナ」も同様であると述べる。ミリンダ王は感嘆する。