前後輪が同等サイズでチェーン駆動のセーフティー自転車の登場は革命的な出来事だった。誰でも乗りやすい自転車の普及は1890年代に大衆の移動の自由の爆発的拡大をもたらし、女性史においても重要なターニングポイントとなった
「前後輪が同等サイズでチェーン駆動のセーフティー自転車の登場は革命的な出来事だった。誰でも乗りやすい自転車の普及は1890年代に大衆の移動の自由の爆発的拡大をもたらし、女性史においても重要なターニングポイントとなった」と以前の記事で書いたが、メイ・ブラグドンの日記と写真群は、その時代を一緒に生きているかのような感覚を私たちにもたらしてくれる。
1890年代から20世紀の初めにかけて、メイの周囲では男女とも本当によく自転車に乗っていたようだ。日記群のうち筆者が目を通せているのはごく一部分に過ぎないものの、休憩しているメイたちの目の前を他の「車輪乗り」たちが何人も走り抜けていく、といった描写には一度ならずぶつかった。そしてそんな日常は、乗り易い自転車が存在するだけではたぶんありえなかった。ロチェスター大による前掲の記事によると、同市を擁するモンロー郡は当時アメリカで最も充実した自転車専用の側道(sidepath ※第二次世界大戦後のsidepathとは別物)のネットワークを誇っていたのだ。
男の付き添いなしで夜が更けるまであちこちを回ったり、scorcher(自転車に乗ったスピード狂)と称されるほど走ることに熱中したり。そんなメイたちの行動に、既存の社会規範に対する反抗の要素はどれくらい含まれていたのだろうか。並べた写真をみる限り、みな服装はヴィクトリア朝末期のスタンダードから外れていないようだし、車体もスカートに対応したトップ・チューブなしのモデルである(※固定ギア車も含まれる)。日記群プロジェクトについての大学の詳報に登場するアンドレア・リースマイヤー氏(希少書・特別収蔵品担当の司書で、Bragdon Family Papersのキュレイターを務める)の解説によると、政治的に活発な人物ではなかったメイも、職場でのジェンダー不平等について思うところを書き残していたという。
友達がいて、自転車があって、道が広がっていた。「世紀の変わり目」を生きた女性の等身大の自由を、メイの言葉と写真は飾らず伝えてくれている。
前後輪が同等サイズでチェーン駆動のセーフティー自転車の登場は革命的な出来事だった。誰でも乗りやすい自転車の普及は1890年代に大衆の移動の自由の爆発的拡大をもたらし、女性史においても重要なターニングポイントとなった。そしてそれは自転車キャンプツーリングの成立にも大きく関わっていたのだ。前掲のCycle and Campの記述には、1897年7月に友人から自転車キャンプをやりたいと相談を受けてテントやバッグ類を設計した、一緒に試みた初のキャンツーは見事に成功、とある。