初詣、娯楽、ナショナリズム、<ヒトの移動>のインパクト
初詣、娯楽、ナショナリズム、<ヒトの移動>のインパクト
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元日といえば初詣をすることがTypicalなのだが、じつは明治期に鉄道の発達とともに庶民の娯楽として成立したのが初詣だ、とする説もある。『初詣の社会史: 鉄道が生んだ娯楽とナショナリズム』(東京大学出版会)が詳しい。
「初詣の社会史」の中で筆者は、初詣がやがて皇室ナショナリズムともからみあいながら「国民」行事として定着していく過程を述べている。
「上から」の強制ではなく、人々が自発的に楽しみながら毎年同じ行事を反復することで強固な持続性をもったナショナル・アイデンティティが形成されていく過程を、初詣の近代史から浮かび上がらせた
学生当時、私のまわりには「ナショナリズムは時代遅れ」だとか「国民国家に捉われているのは愚か」といった類の言葉があふれかえっていた。感化されやすい私は、一時期自分もそのような主張をメガホンのようにまき散らしていたように思う。だが、その後(二〇〇〇年代)の日本社会は国民国家が相対化されていくどころか、マンガやインターネットといったメディアを動力源として、大衆ナショナリズムが戦後かつてない盛り上がりを見せていった。いったいこれはどういうことなのか、という「モヤモヤした違和感」がずっと頭のどこかにひっかかりながら私は大学院時代を過ごしたような気がする――。これが「娯楽とナショナリズム」という問題意識に至った背景の一つであると私は語ったような気がする
ちなみに、この書評会は2016年刊行の塩出さんの大著『越境者の政治史』(名古屋大学出版会)の書評会と同時開催となった。塩出さんから「どちらの本も<ヒトの移動>のインパクトに着目している」と思いがけぬ共通点を指摘されたが、私は、塩出さんの壮大なスケイルの本と、日本内部の、しかもほとんど年末年始しか対象にしていない拙著のあいだに、まさかそのような糸の通し方があるとは思いもしなかったので、心底驚いてしまった。
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