円環は結ばれない
円環は結ばれない
異様に話が下手な友人がいる。枝葉部分まで忠実に再現しようとするあまり、微分的に細部から細部へと沈潜し、焦点が次々とズレてゆく。末節が本筋をずるりと呑み込む。遠近や深浅は脱臼し、断片たちがフラットに並ぶ。咄嗟の連想も遠慮なく挿入するものだから、関連性の希薄なエピソードへと一息で飛んでいってしまう。その先でも枝葉へと分岐。幹に戻らない。本人も初発のゴールを完全に見失っている。「何の話だっけ?」と訊くので、枝分かれした地点まで引き戻してやると、「そうそう、それでね……」と当初の本筋が再開する。しかし、またすぐに拡散。戻す。拡散。戻す。その繰り返し。円環は結ばれない。 聞かされる側はさぞ退屈だろうと思われそうだが、それがどうして面白い。下手なのに面白い。彼女の多次元的な迷宮にすっぽり身を委ねる感覚。論理を辿ろうとしてはいけない。構図が周到に練られた話とは対極にあるからだ。フリもオチもない。「考えるな、見よ!」――ウィトゲンシュタインはそういった。個々の事象と事象とが切り結ぶ「類似」の仕方そのものをただ注視せよ、と。