人間はメディアなのだ
人間はメディアなのだ
インターネットはメディアではない。会話がメディアではないのと同じように。
インターネットでは、「われわれ」がメディアなのだ
自転車はメディアなのだ
『自転車旅行主義 真夜中の精神医学』161-162頁
もちろん、階段はその日、突然、そこにやって来たのではない。何千回も通ったその場所に階段があることなど、私だってよく知っていたはずだ。ただ、自転車では階段の昇り降りは困難であるという単純な事実を、私は忘れていたのである。その瞬間まで、自転車は徒歩の機能をそのまま保ちつつそれをさらに高めてくれるもの、と信じていた。しかし、そうではない。それはたしかに地面と私の下肢とを従順に接続してはくれるが同時に、地面と私の下肢のそれまでの在り方を少しずつ変えてしまうものでもあるのだ。自転車は機械なのだ、という自明の命題を、私はそれを横倒しにして階段の下まで引き摺りながら、啓示に打たれたように繰り返しつぶやいていた。
それはたしかに地面と私の下肢とを従順に接続してはくれるが同時に、地面と私の下肢のそれまでの在り方を少しずつ変えてしまうものでもあるのだ。自転車は機械なのだ
自転車は機械なのだという命題を「メディアなのだ」と読み替えてもよい。
ヴァーチャルな想像力から身体を呼び戻し、両者を行き来させる媒介として、自転車が役割を果たしている。