一音も外すことなく練習に練習を重ねるならそこにあるメロディーの美しさを失うかもしれません
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一音も外すことなく練習に練習を重ねるならそこにあるメロディーの美しさを失うかもしれません
PB-S:昔のピアニストを偉大な演奏家と呼ぶなら、たしかに彼らは偉大です。彼らを偉大な技術者とか偉大な職人と呼ぶのなら、それは疑わしくなります。若い世代のピアニスト(わたしは60歳を超えたところで、50歳以下はみんな若い演奏家です)は、我々が完璧な技術と呼んでいるものを強調しすぎるところがあります。それは手にするのに非常に努力を要するものです。
とはいえ、一人の人間ができることは限られていて、もし技術的な完璧性にすべての力を注ぐなら、一音も外すことなく、練習に練習を重ねるなら、そこにあるメロディーの美しさを失うかもしれません。
偉大な音楽家、アルトゥル・シュナーベルを思い起こしてみましょう。彼はときにたくさんの間違った音を弾きました。あるいはアルフレッド・コルトー、偉大なるショパンの弾き手ですね。ホロヴィッツはわたしに同意するでしょう、彼はコルトーを愛してました。わたしは去年ホロヴィッツに会いました。
つまりこういった音を外すピアニストたちというのは、音を完璧に弾くピアニスト以上になるのです。ただわたしは美しさとは何か、詩情とは何かを理解しようとする若い世代の人たちが戻ってきていると感じてます。音楽についてのレビューで、美しさという言葉があまり使われていない、あるいはここ10年、20年の間使われてこなかったことを不思議に思っている人はいるかもしれないですね。
このインタビューはスペシャルだと思う
フジコ・ヘミングのコンサート観たことあって、もう自分だけではピアノまでたどり着けない感じだし、演奏も音を外すことが何回もあったのに、そのピアノが鳴らす音は本当に美しかった、というのを思い出した
音楽における美しさとはなにか?
それは普遍的なものなのか?
誰にとっても?
いつの時代でも?
それはとても主観的な個人的なもののような気もするけど、一方では永続的に普遍的なもののような気もする