ローテク、ローファイ、インスタント
ローテク、ローファイ、インスタント
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Low-Tech──リソグラフの話
理想工学 リソグラフ
Spector Books『Exploriso: Low-tech Fine Art』
Lo-Fi ──グリッチという現象
ハイファイへのカウンターとしてのローファイ
ビートルズへのカウンターとしてのパンクロック
グリッチ、ノイズ、エラー
Instant ──『i-D』のころ
i-D magazine
テリー・ジョーンズ
「originate, don’t imitate(真似するな、創りだせ)」
「identity」の最初の二文字
そのイニシャルにちなんで、スタジオ名を「Instant Design」に
カラーコピー、ポラロイドカメラ、ビデオカメラ、ワードプロセッサ、インスタントレタリング
同じころ、日本にも「インスタント」の波が押し寄せてきていた。例えば、トナー式のカラーコピー機。まだ拡大縮小の機能は付いておらずモノクロ機もオフィスにあるかないかのころだった。撮ってすぐに見ることができるポラロイドカメラや、やはり現像の手間なくすぐに見ることができる電磁式のビデオテープを用いたVTRシステムもインスタントな道具だった。そういうヴィジュアルにかかわる機材が一挙に民生化されたのがこのころだ。まだ高価ではあったがワードプロセッサ(ワープロ)の普及期であり、転写式のインスタントレタリングなど簡易タイポグラフィのツールも出揃っていた。
ゼロックス、ソニー ポーターパック、SX-70
コピー機の代名詞であったゼロックスでは売り出し中のカラーコピー機を開放しており、申請すれば自由にコピーをとることができた。VTRはポーターパックの愛称で知られたSONYの小型ベータマックス機が先行し、あとを追うビクターはVHSシステムの編集室をこちらも無料で開放していた。ポラロイドカメラではフィルム写真を撮る前の確認用だけでなく、インスタントフィルムの代表機種としてSX-70が人気を博し、写真家やアーティストが好んで使っていた。
インスタントメディアとしての Macintosh
ぼくたちはそれらインスタントメディアを使うことで、パーソナルコンピュータの出現を待ち構えていたのだ。
アップルコンピュータのMacintoshシリーズは、マザーコンピュータから離れて個々に存在することを誇るように「stand-alone」の合図で始まった。1986年に発売された MacintoshPlus は、ハイテクノロジーでありながらビットマップフォントとディザパターンの画像を描くローファイの機材として、デザイナーたちの心をつかむのにさほど時間はかからなかった。
72dpiで打ち出された自身の全身写真を一面に配した、エイプリル・グレイマンの長さ2mに及ぶ一枚刷りの出版物は、ハイテク─ローファイ時代のファンファーレとなった。
これまで外注していた印字(タイポグラフィ)がようやく自分たちの手のなかに入ってきた。細いキレイな線を引くこと、版下を組むこと、それに写真の調整も自分でできる……。
Macintoshもまた、インスタントメディアのひとつだったのだ。
デザインのDIY ── DIYerとしての平野甲賀
平野甲賀
『父』(カヴィーノ・レッダ著、平凡社)
『水牛通信』
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軽便
プリントゴッコ
『水牛通信』の創刊号冒頭に、高橋悠治の宣言文とも読み取れる「水牛出てこい」が掲載されている。「水牛」は新聞だ。……で始まるアジテーションのようなその文章は、こう結ばれている。
制度化しているものを、自分の手にとりかえし、体系化したものをときほぐして方法に変える。そのために新聞は、引用し、編集し、モンタージュをつくりあげる。
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エイプリル・グレイマン
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Design Quarterly # 133: 'Does It make sense?', an experimental digital collage.
https://gyazo.com/80e777414fdedd6ff88ee71d895faf73
久保田成子
https://gyazo.com/4fedb0bcf8a931a32ff739297d248eeb
https://gyazo.com/cc22cd1a976a23bda9586a81e58e072a
テリー・ジョーンズ
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DTP "Desktop publishing"
DTPの過去・現在・未来
1997年7月31日 T&G研究会ミーティング「DTPの発展を検証する」より (社)日本印刷技術協会 理事 小笠原 治
全回分のリンク掲載
1984 ~ 1995
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https://gyazo.com/88af43ca3aaa5dcf2c7ee4d019eb2e69
https://gyazo.com/f4763736078767e29e570605f675ecd4
ジョナサン・シーボルト
John W. Seybold (March 8, 1916 – March 14, 2004) was a father of computer typesetting. His firm ROCAPPI (Research on Computer Applications in the Printing and Publishing Industries), started in 1963, was a pioneer in developing computer-based typesetting systems.
Seybold Seminars was a series of seminars and trade shows for the desktop publishing and pre-press industries in the 1980s and 1990s . They were founded in 1981 by Jonathan Seybold, son of John W. Seybold, and were associated with Seybold Publications.
「第4の波」
やっとプロの世界でも本格的に使えるIllustratorのようなソフトが定着し始めた1988年に、シーボルト氏は「第4の波(ForthWave)」の宣言をした。第1の波とは、約100年前のライノタイプやモノタイプの登場を指し、機械による自動組版の開始である。第2の波は欧文では1950年代にアイディアが生まれ、1960年代に出版産業界にデビューした電算写植である。これは欧文のハイホネーションやジャスティフィケーションをコンピュータ処理することや、カラースキャナなどのような電子化を指した。
第3の波は、1970年代に始まった印刷分野の専用機による統合システムを指す。それまでは文字であれカラー画像であれ、出力機が中心で、それにブラ下がるように前処理装置(フロントエンド)が開発されていった。最初はターンキーシステムと呼ばれた、メーカーがすべてお膳立てして、オペレータが座れば使えるような特殊コンピュータであったのが、次第にミニコンの時代になって、異なるシステムを統合するようなカスタマイズが行われるようになった。
それにしても元がそれぞれ専用機であるから、利用者の仕事に即したシステムを組むには大変な投資が必要であった。しかし欧米では統合処理の要求が強く、1980年代はフロントエンド開発とシステムインテグレータの時代であった。文字に強い会社は画像を勉強し、画像に強い会社は文字を勉強するようなことが起こっていた。しかしシステムはどんどん大げさになり割高になっていった。
第4の波とは、第3の波の専用システムを汎用のコンピュータ上に移していくもので、今考えると当たり前であるが、当時のMacIIの能力とメインフレームやミニコンの能力はとても比較できるものではなかったので、なかなかピンと来る人はいなかった。しかしシーボルト氏は、この変化が非常に大きな意味を持つと力説して第4の波という言いかたをしたのである。