ロガーの血
ロガーの血
上記の様なウェブサービスに自分の思考や行動を記録した文章や写真を集め一連の stream として眺める。そこに顕れているのは自分の生活、人生などではまったくない。それらは途切れ途切れの断片的な記録の集積に過ぎず、Lifestream という響きから得られる印象とはほど遠い。むしろ、そこに記録されていない部分こそが、本当の自分の生きている場所であり、生活であり、大切なものである。皮肉にもそれが大部分であり、Lifestreaming として記録されているものは(今書いているこのブログ記事なども含め)ほんの僅かな切れ端である。ただの log である。だがそれがおもしろくてやめられなくさせているのは、やはり ku の云う"ロガーの血"なのであろうか このブログ記事は傑作だと思う。
文学でいえば中篇小説クラス。
twitterは、自分にはロギングツールとして映りました。 世の中には、勝手にロガーと呼んでいる、とにかくなんでもかんでもログを残しておきたいひとがいます。
後で見返したりはしないけれど、記録が残っていれば後で見返すことができる、という安心感、"すべて"が記録されている、という満足感があります。 twitterがロガー向けツールかどうかは別として、ロガーが自分のログを手でとるのに便利なツールなので、非ロガーが使わなくなってもロガーはロギングツールとして使い続けるだろうと思います。ブックマークしたとか、ウェブ見てるとか、いまこれ聞いてるとか、いろいろツールができちゃったのでますますロギングツールとして優秀になっていっています。
そしてロガーはインテリでフェティッシュなひとたちよりかは数が多そうです。
逆に10年前のWebを振り返ると、数十万円のキカイを買って、高い電話代を払ってインターネットに繋いで見られるものは、テレビと比べると絶望的に汚い画像とテキストだけの音も出ない世界で、それこそインテリでフェティッシュな趣味のひとたちのおもちゃだったと思います。