モジュラーとしての身体
新しい孤独
以上のような「Excellences and Perfections」における一連の受容のされ方は、ソーシャルメディアにおけるタイムラインが、ユーザーであるそれぞれの人間そのものとして受け取られることを端的に示している。他者のタイムライン=モジュラーは、他者の身体/主体の混淆状態で受容されるのだ。しかしそもそも「iPhone」を使用する限り、使用者の主体は消去され続けている。つまり「iPhone」のスクリーンの上に構築されるタイムラインとは、主体なき時代の身体性である「モジュラーとしての身体」にほかならないのである。