ムルティプラと笹目二朗
ムルティプラと笹目二朗
先代のムルティプラは、エンジン誌の長期テスト車を引き継いで40万㎞乗り、さらに原工房の原さんが4万㎞乗って廃車となりましたが、メンテや修理を繰り返しながら乗れば、クルマってこんなに長く乗れることがわかりました。 笹目二朗(ささめ じろう、1945年 - )は、日本の自動車評論家。
東京都出身。日産自動車にて自動車のサスペンション・チューニングに携わった後、1982年から自動車雑誌「CAR GRAPHIC」(二玄社)編集部に勤務。1992年に退職、チューニングメーカー・アイディングでのテストドライバーを経てフリーランスの自動車評論家となり現在に至る。
当時CGの編集長を務めていた小林彰太郎が誌上で日産・レパード(初代)のシャシー性能を高く評価し、それを喜んだ笹目は小林に「もう少し若かったらあなたの下で仕事がしたかった」という内容の手紙を送った。レパードのチューニングは他ならぬ笹目が仕上げたのだった。 それをきっかけにCG編集部員となり、チーフテスターとして数々のクルマのテストをこなした。
谷田部JARI高速周回路での性能計測の合間には、高度なテクニックを駆使した高速レーンチェンジ(通称「笹目飛び)や、バンクの最上段止めなどを披露し、横に同乗させた若手スタッフをビビらせていたらしい。
https://gyazo.com/603f612927401d0572fb036663f973c3
日曜日、起床失敗。起床、即、カメの水槽清掃。ベランダから近くのコインパーキングを眺めると紺色のムルティプラが停まっていた。今日はイイ日になりそうだと思った。