ソ連建国の背景について
ソ連建国の背景について
とはいえ、ソビエト連邦の創設に話を戻そう。ソビエト連邦創設にあたっての最大の功労者はレーニンではなくスターリンである。スターリンは周知のとおり、民族問題人民委員としてボルシェビキ指導部の中で民族問題を担当しており、当然ながら民族に基づく共和国から構成される新たな連邦〔つまりソビエト連邦〕の創設の責任者となっていた。
したがって、連邦の創設は資本主義支配から解放された人民による「自然な」闘争の帰結、そして最も重要なのは、遅かれ早かれ〔同様に資本主義支配から解放されて〕自由になる可能性のある世界の他全ての地域に対して開かれた国家体制だった、ということである。
ソ連は自己完結した単一国家としてではなく、社会主義が広がるにつれて成長し、ヨーロッパの全ての国、うまくいけば世界の全ての国を包括するような拡張可能な国家として構想されたのだ。
この連邦〔の構想〕をより魅力的なものとするのが、新たな国々を受け入れるだけでなく、加盟国の脱退も認めるという「開放性」であった。したがって、「連邦は専ら自発性の尊重をその特徴とするべきであり、全ての共和国は連邦から脱退する権利を保持していなければならない。よってこの自発性の原則は『ソビエト社会主義共和国連邦の結成に関する条約』の基礎とされなければならない」。これはスターリンによる主張だが、レーニンはこの「二重の開放性」をさらに強く唱えていることでよく知られている。
つまりボルシェビキのソ連建国の父たちにとって最重要事項だったのは、当時のソ連構成国の政治的安定性ではなく、その開放性だったのだ。この点においてレーニン、トロツキー、スターリンおよび全指導部の意見は完全に一致していた。連合国家として新たに出立したソビエト連邦は、最終形態ではなく、むしろ初期形態だったのだ。
ボルシェビキは、ドイツ、オーストリア、ハンガリーにおける革命の成功を常に期待していた。たとえその革命が上手くいかずとも、最終的にはこれらの国々が新たにソビエト共和国(ボルシェビキ側の呼称)として共に連邦国家を形成することを期待していたのだ。
注目すべきは、「ソビエト社会主義共和国連邦」という国名には、地理的名称が一切含まれていないことである。
非資本主義社会の世界連邦を創ろうとしていた