スピノザとライプニッツ、「天才の世紀」の哲学と社会
from 2025/03
スピノザとライプニッツ、「天才の世紀」の哲学と社会
世界の名著 25 - 国立国会図書館デジタルコレクション
下村寅太郎による概説
第1章 「十七世紀の思想と社会」
第3節 「バロック — いびつな真珠」
この二人の哲学者の生きた十七世紀は、「天才の世紀」である。フランスではデカルト、マルブランシュ、イギリスではロック、ホッブズのごとく、いずれも個性の豊かな体系的思想家の輩出した近世哲学史中、もっとも絢爛たる時代である。 十五、 十六世紀が「学芸復興の世紀」 十八世紀が「理性の世紀」と呼ばれ、それぞれの世紀の性格を示す名称があったが、 十七世紀は長くこのような名称を欠いていた。 ホワイトヘッドがはじめて 「天才の世紀」と命名した。
ルネサンスの世紀はイタリアを中心にして、芸術家とくに造型芸術家が主役であり、指導者であった。 しかし、 哲学に関してはむしろ貧困な時代であった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ルネサンス
ルネサンス(仏: Renaissance 伊:Rinascimento)は、「再生」「復活」などを意味するフランス語であり、一義的には古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動。14世紀にイタリアで始まり、やがて西ヨーロッパ各国に広まった(文化運動としてのルネサンス)。また、これらの時代(14世紀 - 16世紀)を指すこともある(時代区分としてのルネサンス)。
十七世紀になると舞台はアルプスの北に移り、哲学者、科学者が主役となる。しかしこの時代は、生を謳歌したルネサンスにたいして、良心を問題にする宗教改革、これに抗する反動宗教改革の暴風が全ヨーロッパに吹き荒れた動乱時代である。「バロック」の時代である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/バロック
バロック(伊: barocco, 仏: baroque 英: Baroque, 独: Barock)とは、16世紀末から17世紀初頭にかけイタリアのローマ、マントヴァ、ヴェネツィア、フィレンツェで誕生し、ヨーロッパの大部分へと急速に広まった美術・文化の様式である。
パロックは「いびつの真珠」を語源とするように、ル ネサンスの古典的な調和静謐にたいする激動、氾濫を特色としている。学問、宗教、道徳、芸術のあらゆる領域において、激烈な対立、論争がたたかわされた。 これをとおしてあるいはその結果として、学問は哲学も科学も、はじめて真に近世的性格のものとなる。古代・中世の哲学にたいして新しい近世を自覚した哲学がここではじめて成立する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/バロック
バロックという語は、真珠や宝石のいびつな形を指すポルトガル語のbarrocoから来ているとする説が有力である(ただし名詞barrocoはもともとはいびつな丸い大岩や、穴や、窪地などを指していた。いずれにせよ、この語にはいびつさの概念が含まれていたと思われる)。
これはヨーロッパの一般的歴史社会的状況にも対応する。「近世ヨーロッパ」は十七世紀において確立する。
全ヨーロッパが「一人の教皇と一人の皇帝」によって宗教的ならびに政治的に組織され支配されて、一つの統一的なヨーロッパ的世界を形成したことが、中世ヨーロッパの特色であった。これが全面的に解体、崩壊したのは十七世紀である。中世では、「ヨーロッパ」ということばは存在したがほとんど用いられず、「キリスト教圏」の語が一般に用いられた。しかし、いまや「カトリック教会」はもはや字義どおりの「普遍教会」ではなくなり、プロテスタント教会がこれに対立し、分離し独立する。 プロテスタント教会自身の中にも、さらにさまざまの分裂を生む。政治的には、全ヨーロッパを統一していた 「神聖ローマ帝国」はたんに名目的なものになり終わり、 独立の諸国民国家に分裂する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴェストファーレン条約#評価
ヴェストファーレン条約(ヴェストファーレンじょうやく、羅: Pax Westphalica、独: Westfälischer Friede)は、1648年に締結された三十年戦争の講和条約で、ミュンスター講和条約とオスナブリュック講和条約の総称である。ラテン語・英語読みでウェストファリア条約とも呼ばれる。近代における国際法発展の端緒となり、近代国際法の元祖ともいうべき条約である。
ヴェストファーレン条約は、元より集権制が弱く統一された「帝国」としての立ち位置が不安定だった神聖ローマ帝国が、明確に統一性を失った出来事だった。同条約は「神聖ローマ帝国の死亡診断書」と呼ばれ、「神聖でなければローマでもなく、帝国ですらない」(ni saint, ni romain, ni empire)というヴォルテールが評した大空位時代と並んで、ドイツ地方の非中央集権制を象徴する物として知られている。
思想的領域においても、中世の統一的単一的な学問であった「スコラ学」にたいして「新哲学」が成立する。 中世のスコラ学はラテン語を唯一の共通の用語としていたが、いまや個別的世俗的な諸国語で著作される。中世では、思想の源泉はもっぱら聖書、教父の伝承、プラト ン、アリストテレスに制限されていたが、いまや自己自身の経験と自由な思惟がよりどころとなる。 思想の世俗化、多様化、個性化がその特色となる。十六世紀はいまだ模索的な過渡期であったが、転換が確立し、確信をも った積極的に新しい思想体系が建設されるのは、この十七世紀である。いずれもきわめて個性的であることを特色とする。