ガラスの靴がそこにある、みたいな
ガラスの靴がそこにある、みたいな
よりよく走る(rblg'er的にいえば「より深く潜る」)ための方法としての、ベアフットランニングのはずなのに、どうもマーケティングという化け物は、新しい何かを買わせるための方便として利用しようとしているみたい。
それを履けば何かが変わる、ガラスの靴がそこにある。みたいな。
ベアフットって言うのは、「いかにクツを脱ぐか」というステップを踏むことだと思うんだけど、どうも世間は、「何を履くのか」という方向にいっているように見える。
まるで逆方向。
autopagerize とか ldrize とか tombloo とか reblogcommand とかでどう武装しようが、そんなの全然本質じゃなくて、如何に潜るかということの方が重要なのにねえ。
どんなスゴイツールを使おうがダサイヤツはダサさが増幅するだけ。カッコイイヤツは何を使ってもカッコイイし、スゴイツールを使えばカッコよさが増幅される。
などと、辺境の地に異端の者として立つ。
9年前、本質を突いている
9年も前の自分は、自分じゃないな