エル・キャピタン、1958、ジョージ・ホイットモア
エル・キャピタン、1958、ジョージ・ホイットモア
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2017年、アレックス・オノルドがヨセミテのエル・キャピタンを1人登りきったとき、彼は国旗を立てなかった。彼は素手とシューズとチョークバッグしか持っていなかった。ハレルヤ。
昨春、有名なクライマーであり自然保護活動家でもあったジョージ・ホイットモア(89歳)が、1958年11月12日の出来事について、友人にメールを送った。ホイットモアと彼のパートナーだったウォレン・ハーディング(1924~2002年)、ウェイン・メリー(1931~2019年)が、ヨセミテ渓谷エル・キャピタンの「ノーズ」ルート初登を成し遂げた日だ。
エル・キャピタン登攀は、人類がこれまで成し得た仕業の中で最も成就しにくいといえる。宇宙時代のテクノロジーや近代クライマーのオリンピック選手並みの身体能力をもってしても、エル・キャピタン完登は決して確約されはしない。1958年において、それは革命だった。
総期間16か月登攀日数47日におよんだエル・キャピタン初登というチームの偉業。だがその重みを心底理解するには当時の背景を知る必要がある。ハーディングが初めてノーズの最初のクラックに取り付いたとき、ヨセミテの大岩壁ですでに登られていたのはわずか3つ、
ロッククライミングにふさわしいギアは粗雑なものしか存在しなかった(サラテやガルワズは登攀用ハーケンを自分たちで鋳造しており、ホイットモアも同様で、ノーズのために大きなアルミニウム製ハーケンを手作りした)。ロープはヨット用の麻ロープと大差なかったし、ハイキングブーツやスニーカーがロックシューズを兼ねていた。ハーネスが登場するのは何十年も先である。固定ロープを登降する道具は即席で、危険この上なかった。ましてエル・キャピタンの高さは900メートルだ。
「彼ら(ハーディン、メリー、ホイットモア)は、いわゆる垂直の巡礼路を拓いた。今もそれは地球上のすべてのクライマーがいつか歩きたいと願う道だ。」ライターで冒険家のダニエル・デュアンは言った。ノーズはホイットモアにとって最初で最後の大掛かりな本格的ロッククライミングになった。けれど、それは世界やそこで暮らすわたしたちすべてに対するホイットモアの貢献の始まりにすぎなかった。
42年間連れ添った妻のナンシー(76歳)によると、ホイットモアは1970年代初め、自然保護活動に注力するために、生業であった薬局を辞めた。シエラクラブの地域・州・全国キャンペーンに参加し、フレズノを本拠とするテヒパイト支部長を務めた。その時代の多くの活動家がそうであったように、ホイットモアも「雇用創出」のために原野や自然保護区を荒らし、目先の金を求めて再生不可能な資源を破壊するすべての輩と戦った。しばしばこの持続不可能な行為の対極には、付随するダメージをすべて技術で回復できるとするフィクションまで存在した。エル・キャピタンはホイットモアに大きく考え、大胆に行動することを教えた。そして彼はそうした。
数年前、甥のランディ・フィッシャーはホイットモアに、エル・キャピタン登攀を自分の功績リストのトップにするかとたずねた。ホイットモアは、リストに入れるかさえわからないと答えたそうだ。
チームがノーズに取り付いてからほんの数週間後、ハワイ州オアフ島ノースショアで、サーファーの一群がワイメア湾にパドルアウトした。今では伝説的な超巨大な波しぶきに初めて乗ったのだ。近代ビッグウェーブ・サーフィンの誕生である。この2つの画期的な出来事をきっかけに、アドベンチャー・スポーツを中心にアウトドア全般のブームが起こり、それによって環境に配慮する産業が形成され、その規模は2018年時点で石油・鉱業を合わせたものよりも大きくなっている。
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ノーズ初登の記録本として引っ張り出した、ウォレン・ハーディング著『墜落のしかた教えます』。
同書の後半には、当時のアメリカ登山界の有名人をぶった斬った「ダウンワード・バウンド式ゾーン・システム」という、10段階でクライマーを批評した頁があるのだが、ここでのジョージ・ホイットモア評を紹介しよう。もちろんウォレン・ハーディングの毒舌スパイス入りである。
『ジョージ・ホイットモア ゾーン7
彼の唯一の現実的な欠点は、驚くほど神経質な点だ。以前は卑しむべきバッツォ(注・ウォレン・ハーディングのあだ名) (及びそれに類した連中)と付き合っていたが、後に賢明にも、経済的、感情的にもっとも安全で、合理的に山を楽しめる仲間と付き合うようになった。』
「ゾーン7」とは、「今はまったく登攀をしていない過去の人物。今ではまじめに家庭生活にいそしむとか、仕事に打ち込むとか、野鳥でも眺めている人。」
ちなみに「ゾーン1」は、やたら説明が長いので省略するが、「(略)・・この連中はロッククライミングのことになると、まるで何か深い宗教的あるいは政治的な内容であるかのように(略)狂信的な考え方を持つ傾向がある(略)」 という人物で、同書ではロイヤル・ロビンス、シュイナードがゾーン1に該当する。
ウォレン・ハーディング
1976年
Downward Bound: A Mad! Guide to Rock Climbing
1974年
2016年
Harding authored the book Downward Bound: A Mad! Guide to Rock Climbing. The book contains a description of the ascent of the Nose and the Wall of Early Morning Light (1970), as well as farcical instruction in climbing basics, ratings of prominent climbers of the period, a humorous account of rock climbing controversies and life-styles of the 1960s and 1970s, and a vivid portrayal of Harding's own rebellious and charismatic character.