インターネットに文章を書くことと自意識の話
インターネットに文章を書くことと自意識の話
文章を書く、あるいは絵でも音楽でも作品をつくる、というとき、その書き手(作家)の良心(自意識)はどのように作用するのか、さらにそれは創作における技術の進歩に貢献するのか(しないのか)
自意識
自意識過剰、承認欲求
ラヴェルの考えでは、アーティストとしての誠実さは、自意識(仏:conscience)によって表されないことには価値がない、そしてこの自意識はアーティストを良い職人になるよう導いてくれる、とのこと。そしてそこに近づこうとすることこそがアーティストがもつべき目標であると。
自意識という日本語は、フランス語の conscience の訳で、英語だと consciousness になると思います。英語の conscience であれば、良心、善悪の判断力という意味になり、似たものではありますが、指し示す言葉の範囲、あるいは角度が少し違います。ただ良心(善悪の判断)は、自意識を発動したとき現れるものなので、自意識をもつことと良心に問うことは、近い行為とみなすこともできます。
指し示す言葉の範囲、あるいは角度
ラヴェルの考えで面白いと思ったのは、この自意識(良心)が、創作の技術に貢献する、あるいは作品の完璧性と関係するという視点でした。
自意識とは:自分が他者とは異なる自分自身であることの認識、自分が何をどう考えるかが意識化されていること。
文章を書く人、創作をする人は、常にこういった自意識(自分が何をどう見て、判断しているのか、選んでいるか)に敏感であることが求められ、それを表現として完成させるために技術を使うことになる、よって書く(作る)技術が高められる
このようなとき、自由な立ち場で思ったことが書けるのであれば、どうするのがいいか。どの言葉や表現を使うべきか。
この論考は、なぜ個人的な文章(日記とかそういう)をインターネットに共有するのか、という話に繋がる気がする
この論考の中では、「自意識」と「良心」の違いが、あやふやになっている気がするけど
「良心」というよりは他と自を明確に区別することのような気がする
自分とはなにか、みたいな
それを「良心」と呼ぶのかー
良心(りょうしん)とは、自身に内在する価値観(規範意識)に照らして、ことの可否ないし善悪を測る心の働きのことである。
英語では conscience と表記され、その語源には日本語のような「良」を意味する部分はない。従って、英語では、good conscience(日本語では、"良い良心"にあたる)や、 evil conscience(日本語では、"邪悪な良心"にあたる)という表現が存在する。罪悪感が入り混じった複雑な感情の動きを良心の呵責と称されることがある。
1) the part of your mind that tells you whether what you are doing is morally right or wrong
あなたがしていることが道徳的に正しいか間違っているかを教えてくれるあなたの心の部分
2) a guilty feeling that you have about something bad you have done
悪いことをしたという罪悪感