イチロー選手は他人のグラブやバットに触らないそうだ
イチロー選手は他人のグラブやバットに触らないそうだ
履き慣れた靴、着こなした服、長年かけ続けた眼鏡、アクセサリーなど、これらを身につけたときとそうでないときの身体感覚を比べると明らかな違いがあることに気がつくだろう
自動車もそうだ。運転に慣れたマイカーはアクセルやブレーキの踏み具合、車幅感覚がわかる。だが、レンタカーなど乗り慣れない自動車を運転するときにはそれがわかりづらい。しばらく運転するうちに馴染んでくるだろうが、それは道具としての自動車に自らの感覚を伸ばすことができるようになったからだ。「私が自動車を運転する」という主従関係ではなく、「私と自動車が一体化する」という並行的で融合的な現象がここには生起している。 イチロー選手は他人のグラブやバットに触らないそうだ。たとえわずかであっても他人の感覚が手に残るのが嫌なのだという。当然イチロー選手は発生論的運動学を知らない。プロフェッショナルと呼ばれる人たちが自らのからだを通して辿り着いた経験知には、私たちが学ぶべきことがたくさん詰まっている。