アテナイ
https://ja.wikipedia.org/wiki/アテナイ
アテナイ(アテーナイ、古希: Ἀθῆναι、古代ギリシア語ラテン翻字: Athēnai)は、ギリシャ共和国の首都アテネの古名。中心部にパルテノン神殿がそびえるイオニア人の古代ギリシアの都市国家。名はギリシア神話の女神アテーナーに由来する。アッティカ半島の西サロニコス湾に面し外港ペイライエウスを有していた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アテナイ#全盛期のアテナイ
ペルシア戦争に勝利し海上交易における覇権的地位を確立したアテナイは、ギリシア第一のポリスとなり、軍事のみならず経済の中心都市としても発展した。また、前の戦争において市民による重装歩兵が都市の防衛の主役となったほか、海戦における軍艦の漕ぎ手として無産市民も活躍したことで彼らも政治的地位を向上させ、軍事民主制(民主主義)による政治体制が確立されていった。こうした状況下で、優れた政治的指導者であるペリクレス将軍統治の下、アテネは繁栄した。
外交面では、アテナイを盟主としてイオニア地方やエーゲ海のポリスまで含んだデロス同盟と称される軍事同盟が結成された。当初はアケメネス朝の再襲に備えたものであったが、アケメネス朝の脅威が減少するにつれ、徐々にアテナイが他のポリスを支配する道具になっていった。当初はデロス島に設置されていた金庫がアテナイに移されて以降、潤沢な資金はアテナイの為に流用され公共事業であるアテナイのアクロポリスでのパルテノン神殿建設や海軍増強などに注ぎ込まれた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ペルシア戦争
ペルシア戦争(ペルシアせんそう、ギリシア語: Περσικοί Πόλεμοι)は、紀元前492年から紀元前449年の、3度にわたるアケメネス朝ペルシア帝国の遠征軍とギリシアの諸都市の連合軍の間におこなわれた戦争。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アテナイ#アテナイの衰退
紀元前429年、アテナイ城内に蔓延した疫病(19世紀にはペスト説が有力であったが、実際は別の伝染病であったと考えられる)によってペリクレスを含めた多数の人間が死亡した後、漸次隷属させていた植民地が離反するなどしてアテナイは劣勢に立たされ、戦争は紀元前404年にスパルタの勝利の内に終結した。
スパルタに敗れた後のアテナイには三十人政権と呼ばれる寡頭制政権が成立し恐怖政治を敷いた。間もなくトラシュブロスによって寡頭制は崩壊し富裕市民の合議制に戻ったものの、海外領土および隷属都市を失ったアテナイの経済力は衰退し政治が大きく乱れた。コリントス戦争後、紀元前377年に再度海上同盟を結成するなど国力を回復したものの、かつての勢いを取り戻すことは二度と無かった。紀元前357年に起きた同盟市戦争(英語版)により同盟市に対して大幅な譲歩を強いられ、紀元前338年にカイロネイアの戦いでマケドニアのフィリッポス2世に降伏してからはデモステネスの抵抗も空しく政治的独立性を失いアレクサンドロス大王とそれに続くディアドコイの帝国に編入された。アレクサンドロス大王の死後反乱(ラミア戦争)を起こしたものの、短期間で鎮圧された。ローマの支配下となった後は文化都市として栄えたが、域内完結型のローマ経済圏において生産力の乏しさから徐々に衰退し、6世紀頃までには東ローマ帝国の一地方都市となった。