まだちょっと新しすぎる
まだちょっと新しすぎる
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まだちょっと話題が新しすぎるように感じられる。
古いことなのに新しすぎてダメってのは意味が分からないかもしれないが、そういうことはままあったりする。
ちょっと前ってのが曖昧だけど、2000年あたりだとまだ無理な気がする。なんでダメなのかっていうと、戦意高揚的な作品も扱っているからだ。敗戦っていうのは大きな出来事で、変なことが大量に起きた。変なことによって発生した流れから離れ、自然に眺めるようになれるまでには、すごく時間がかかってしまう。その境目も曖昧でなかなか判断するのが難しい。
それでも戦争が終って時間がたち、扱えないものは減り、かなりマシな感じになってきている。だから人によっては、なんのことだか分からないと思うんだけど、まだまだ触れにくい話題は数多く存在しているのが現状だ
遠野物語にはなんともいえない腑に落ちないような不条理のような話というか断片がたくさんならんでいるんだけども、そういうのは人智の及ばないなにがしかの出来事(災害とか)にたいしてそれを受け入れていくためのやり方みたいなものが含まれているという話と、 2011年のあのあとすぐに表現出来たことと2014年に表現出来たことは全然違ってて、
さらには2018年であるとまた違った表現になるっていうことで、
なにがしかの出来事が起きたときにそのことに対する姿勢みたいなものは時間の経過によって変わってくるという話(これについては無時間性についてと対の話になっている)。
畑中サンが先の番組の中で、遠野のある集落について「あの山から向こうはあの世、ここは人里、反対のあの山は姥捨て山」と言っていた。風景の中にその社会の形とか歴史とかが刻まれているという話だった。積読の中からアースダイバーを取り出した。
英語、アメリカに渡ってイギリスで使われていた形から変化するんだけど、それはもともとそこにいたインディアンの言葉の影響を受けたという。
江戸はもともとは東北の入り口として存在していて東の文化を色濃く持っていて、その文化の上に江戸城が築かれた。明治維新以降は江戸城の上に皇居が移された。天皇制は中国を手本に形式的に整えられたものとして日本に持ち込まれ整えられたが京都から江戸に移ったことでもともと持っていた土着的な部分が、目に見える形として色濃く現れるようになった。