ひとを理解するということ
ひとを理解するということ
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このように見てくると、理解するとは、合意とか合一といった実質をともなうものではなく、分からないままに身をさらしあうプロセスなのではないかとおもえてくる。一致よりも不一致、それを思い知ることこそが、理解においては重要な意味をもつ、と。 そういう苦い過程を踏んだあとでこそ、「あのときは分からなかったけれど、いまだったら分かる」ということも起こるのではないだろうか。そのとき、「わたし」はそういう過程をくぐることで変わったのだ。そういう出来事が起きれば、その場で分かるか分からないかはたいした意味をもたない。
そういう意味で、他者を理解するということのうちには、他者の想いにふれ、それを受け入れることで、自己のうちで何かが変わる、これまでとは違ったふうにじぶんを感じられるという出来事が起こるということがふくまれているようにおもわれる