はくいきしろいの格好良さについて
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はくいきしろいの格好良さについて
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自分の感覚を抽象化してまとめると
今の現代美術には
美術館が買うもの
資本家が買うもの
公共が買うもの
の3種類があって美術界のプレイヤーは作家では無く資本を出す側で
作家は畑に育つ野菜のようなもの
その中に
「多くの人」(が買うもの)
というのが新しく加わると思っていて
ネット情報が今の人類が死滅しない限りアーカイブが残り誰もが接続できるのであればそれも可能なのでは?と
二つ世界をひっくり返していて
一つはプレイヤーを資本側に置いたこと
もう一つはプレイヤーを我々の手にまで引き戻したこと
(極端にいうと)全世界にまで拡大した
ただカッコイイステッカーを売っている、というわけではないわけだ
イヤ、作っている作品がカッコイイというのはもう間違いないわけだが、
この逆転(二つ世界をひっくり返していること)には、リブログと似たものがある
リブログの場合、資本にあたるのはお金じゃなくて興味、アテンション、時間?
それは「リブログが」というよりは「インターネットが」という話かも
そこに格好良さがある