そうならなければならないなら
そうならなければならないなら
さようなら
左様であるならば
さらば
然らば
では、「さようなら」は、どういう意味を含んだ言葉なのでしょうか。「さようなら」と似た「さらば」は、「左様であるならば」を略した言葉です。「左様であるならば」は、「そのようであるならば」という意味であり、言葉の分類としては接続詞にあたります。つまり、日本語は接続詞を別れのあいさつとして転用しているのです。
別れは、儚く、悲しく、せつないものです。そのようにして自分の中に流れる感情や自分と相手の間に流れる感情を、お互いの関係性の中で起きたことを「そのようであるならば」と、ありのまま受けとめる。そうした態度が「左様であるならば」、つまり「さようなら」という言語表現として伝えられてきました。こうした日常的な言葉の中にこそ、日本人の感性やものごとの受け止め方、考え方や哲学が特徴的に表れています。
アン・リンドバーグは、日本で言われた「さよなら」という不思議な語感を持つ四文字の別れ言葉にすごく惹かれたと記しています。別れを紛らわせたり、悲しんだりするのではなく、ありのまま受け入れる。しかも「そうならなければならないなら」というのは、受け止めた過去を未来へとつなげていく言葉なのだと記述しています。