あらゆる巨大な紛争はイデオロギーの偉大化・正当化から始まる
あらゆる巨大な紛争はイデオロギーの偉大化・正当化から始まる
最もリアリスティック見解に立てば、中国やロシアとの地政学的対立が激化する渦中に、アメリカがイデオロギー的闘争を先導するための利用手段として、なりふり構わわない国家の連合体を創設する序曲である、と見做すことだろう。
故に、このサミットは、グローバル・コスモポリタン的観点からすれば(あるいはそれを標榜しているふりをしているため)、完全に間違えているのである。このサミットは、世界を2つの相容れない陣営に分断させ、交流と相互理解を不可能とさせるものだ。論理的な帰結は、不可避の衝突に至らざえるをえない。 イデオロギー的闘争を先導するための序曲
国家の連合体
米ソの第一次冷戦から学ぶべき教訓は、世界を絶対的に対立する2陣営に分割することを拒否することの重要性である。この拒否こそが、米ソ間の激しい衝突を緩和させ、おそらくは局地的な戦争の多くを防ぐことができたのだ。拒否によって、「衝突の緩和」は達成された。しかし、今やこれは不可能となっている。第3の道は存在していない。民主的サミットの論理に言わせると、「こちらに付くか、相手に付くかの二択しかない」のだ。
世界を絶対的に対立する2陣営に分割することを拒否すること
マニ教的な善と悪の戦いの論理が、今日の西洋のメディアや政治家の姿勢に浸透しきっている。これらの多くは、自身が天使の側にいると本気で信じているか、そう洗脳されている可能性がある。しかし、そうなってしまえば、歴史の非常なる利己的読み解きに加担することになり、全世界規模での紛争に至ることに、気付いていない。実際、彼らがやっていることは、平和の追求、システムや国家間の妥協点の模索、コスモポリタン的アプローチとは真逆のものである。
マニ教的な善と悪の戦いの論理
コスモポリタン的アプローチ
あらゆる巨大な紛争は、イデオロギーの偉大化・正当化から始まる。十字軍は、イエス・キリストの墓を「異教徒」から奪うことを目的に始まった。このことは、キリスト・イスラムを問わず双方の社会を破壊し、略奪する遠征軍に変貌した。ヨーロッパの植民地主義は、宗教的(「異教徒」への福音)、あるいは文化的観点によって正当化されていた。それらは、ラテンアメリカでの奴隷労働、アフリカ人の奴隷化、その他地域(インド、エジプト、中国、アフリカの大部分)の内政を支配するシステムの煙幕となっていた。第一次世界大戦後のウッドロー・ウィルソンによる誇大妄想的なプロジェクトも、これらとなんら変わらないものであった。民族自決と民主主義という大原則に従うポーズを取りながらも、それは「保護国」や「委任統治」の名の下での植民地支配の強要、卑劣な領土取引へと堕落していった。
あらゆる巨大な紛争はイデオロギーの偉大化・正当化から始まる