『ニコマコス倫理学』で描かれている一般化のプロセス
『ニコマコス倫理学』で描かれている一般化のプロセス
「イチジク、蜂蜜、魚」LXXXII
ミツバチの生殖について行なっている分析は、彼がしばしば示す科学のやり方の典型でもある。それは『ニコマコス倫理学』で描かれているプロセスに似ている。「パイノメナ」(観察された事実)からスタートして、それに対する最良の説明を集める。そして証拠にしたがって、演繹的手法により説明のうち不適切なものを取り除いていく。この作業をやり遂げる頃には、ミツバチの本質的な特性がはっきりと示されるというわけだ。
「パイノメナ」(観察された事実)からスタートして、それに対する最良の説明を集める→帰納的手法
演繹的手法により説明のうち不適切なものを取り除いていく
だが、本当にそうできていただろうか? アリストテレスは明白な証明は真理をもたらすと考えている。しかしながら、彼がよく承知している通り、証明はその前提の確かさを超えた正確性を持ちえない。アリストテレスは認めていないが、ここでの彼の証明は弱い。せいぜい、「ほとんどの場合」真であると認識していたことの一般化に依拠している
一般化、「ほとんどの場合」真である
プラグマティズム
そこで、疑念に悩まされつつ、彼の議論は暫定的なもので終わる。
ここでは、次のように語るアリストテレスをわれわれは愛さずにはいられない。
少なくとも、理論的に考えるかぎり、ミツバチの発生については以上のように考えられる。そして、ミツバチの行動について、事実と人々が考えていることに照らしてもその通りなのだ。しかし、現在のところは、事実が十分に理解されているとは言いがたい。もし未来にそれが理解されるとしたら、それは理論より、目に見える証拠に頼ることができるようになったときであり、理論が役割を果たすのは、それが観察される事実に一致する限りにおいてである……。
目次より「イチジク、蜂蜜、魚」という章への補足
アリストテレスは生物の生活史を世界全体の動的平衡とサイクルの中に位置づけ、環境の要請と動物の体の要求を見事に関連づけていた。十分に説明がつかない生物種は、彼をもっとも悩ませ、かつ魅了した。