『アメリカ講義』《補遺》始まりと終わり
この文章について
「始まりと終わり」は『アメリカ講義』の第六回にあたるものではない。 五つのテーマと草稿が決定する以前には、膨大な下準備があった。これはその一部である。
テキストは『アメリカ講義』の大量の複雑な手稿から抜粋したもので日付は1985年2月22日とある。 始まり(書き出し)について
書き出しは、まったく異なる世界、つまりことばの世界へ の入り口でもあります。書きはじめるまで、ことばの世界の 外には、まったく異なる世界が存在しており、あるいは、存在すると考えられています。
書かれていない世界のことであり、わたしたちがそこで生きている世界のことです。この閾をまたぐことで別の世界に入るのですが、こちらの世界と外の世界との間には、そのつど決定される関係が保たれているか、ひょっとするとなんの関係もありません。
書き出しはきわめて文学的な場です。なぜなら外の世界というのは当然、連続した世界で、目に見える境目がないからです。
文学作品の境界について検討するというのは、文学的な操作がさ まざまな考察をもたらすありようを観察するということです。 こうした考察は、文学の彼方にまで及びますが、 文学にしか 〈表現〉できないことなのです。
古代人はこの瞬間の重要性をはっきり意識しており、 詩歌を詩の女神への呼びかけの言葉で始めました。
女神が記憶という貴重な宝の護り神であり、あらゆる神話、叙事詩、物語がその一部をなしているのですから、敬意を払うのは当然で しょう。詩の女神にはわずかのあいだ呼びかけるだけでよく、呼びかけの言葉は、英雄たちの偉業が分かちがたくもつれあっているという事実を了解したという、別れの合図でもありました。
つまり、いまはアキレウスの怒りに掛かりきりでも、トロイア戦争の他の多くの挿話を忘れたわけではなく、 いまはオデュッセウスの帰還に関心があっても、英雄たち一人ひとりの帰還の顛末を忘れたわけではないのです。