machine-readable
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「図を描く」ってのは案外に不自由なものである。 何故なら「図を描く」ことによってそれまでの思考が図に固定されてしまうから。 その先はない,やり直さない限り。 だからかったるいのだ。 図像化と符号化には天地ほどのひらきがある。
テキストデータのプログラムコードが紙テープやパンチカードと決定的に違うのは記述コストが圧倒的に低くてしかも human-readable である点だろう。 考えながら書き,書きながら考えることができる。 これを超える「発明」はそれこそ数十年単位で出てこないんじゃないだろうか。
たとえば「プログラムコード」を(人間が指示したとおりに)人工知能が書くことができるようになったとしよう。 その場合,コードがテキストや図である必然性は微塵もなく machine-readable でありさえすればいい。 塩基配列でコードを構成したって構わないだろう。 むしろ人工知能が書いたコードを人間が読めるように「リバース・エンジニアリング」するのに苦労するんじゃないのかな。