2024/11
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ジョン・ロールズ『政治哲学史講義』上下巻
ジョン・ロールズ『哲学史講義』上下巻
書庫から出してもらってほとんど中身を見ないで借りてきた『哲学史講義』はほぼイマヌエル・カント(の倫理学説)についてだった
訳者がロールズ側ではなくカント側の人たちっぽい
それぞれの原題は
『政治哲学史講義』は "Lecturer on the History of Political Philosophy"
『哲学史講義』は "Lecture on the History of Moral Philosophy"
ジョン・ロールズはアメリカ合衆国ボルチモア生まれ。1962年から1991年までハーバード大学の教授だった。その間に2つの講義を継続的に受け持っていてそれが「政治哲学史」と「道徳哲学史」だった
いずれも全体を博物学的に概観するのではなくて、ロールズ自身の問題意識を捉えるためのものだったので、対象となる哲学者と参照するテキスト(書籍)はかなり狭く限定されている
『政治哲学史講義』は岩波書店、『哲学史講義』はみすず書房から出版されているけど、体裁は似通っていて
冒頭に編者の緒言
ロールズの序文・序論
目次
引用文献
これが重要
本文
講義概要
そしてまたこれが重要
訳者のあとがき
引用文献(『哲学史講義』では「凡例」の中に記載されている)と講義概要が重要で、
特に講義概要では
講義を受けるにあたって読む必要があるテキスト、書籍名と該当する章節、が記載されている
全部読む必要があるヤツもあるけど、結構ピンポイントで指示されている
『政治哲学史講義』の講義概要には、週2回の講義で9週間、と書かれている
で、なにを思ったのかというと「(時間さえ掛ければ、参照しているテキストも含めて)読めそう」ということ
2020/09/25
2021/01/04
2021/02/17
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今に続く波のように、真実、虚偽、その中間のあらゆる録音や写真、証言や説明の波に次ぐ波のように、司書や記録保管担当者によって集められ、未来へのヘイルメリーパスのように投げ込まれます。
A Hail Mary pass is a very long forward pass in American football, typically made in desperation, with an exceptionally small chance of achieving a completion. Due to the difficulty of a completion with this pass, it makes reference to the Catholic "Hail Mary" prayer for strength and help.
ヘイルメリーパスはアメリカンフットボールにおける非常に長い前方パスであり、通常は必死になって行われるため、パスが成功する確率は非常に低い。このパスでパスが成功しにくいことから、力と助けを求めるカトリックの「ヘイルメリー」の祈りに由来している。
The Hail Mary is a traditional Christian prayer addressing Mary, mother of Jesus.
"The Hail Mary" は、イエスの母マリアに呼びかける伝統的なキリスト教の祈りです。
The Hail Mary (Latin: Ave Maria) or Angelical salutation is a traditional Catholic prayer addressing Mary, the mother of Jesus. The prayer is based on two biblical passages featured in the Gospel of Luke: the Angel Gabriel's visit to Mary (the Annunciation) and Mary's subsequent visit to Elisabeth, the mother of John the Baptist (the Visitation). It is also called the Angelical Salutation, as the prayer is based on the Archangel Gabriel's words to Mary. The Hail Mary is a prayer of praise for and of petition to Mary, regarded as the Theotokos (Mother of God). Since the 16th century, the version of the prayer used in the Catholic Church closes with an appeal for her intercession. The prayer takes different forms in various traditions and has often been set to music.
アヴェ・マリア(ラテン語:Ave Maria)または天使挨拶は、イエスの母マリアに宛てた伝統的なカトリックの祈りである。この祈りは、ルカによる福音書に出てくる2つの聖書の一節、天使ガブリエルのマリア訪問(受胎告知)と、それに続くマリアの洗礼者ヨハネの母エリサベツへの訪問(訪問)に基づいている。この祈りは、大天使ガブリエルのマリアへの言葉に基づいているため、天使挨拶とも呼ばれる。 アヴェ・マリアは、神の母とされるマリアへの賛美と嘆願の祈りである。16世紀以来、カトリック教会で使用されているバージョンの祈りは、マリアの執り成しを訴える祈りで終わる。この祈りは、様々な伝統で異なる形式を取り、しばしば音楽に設定されている。
What we call history is only the Now of an earlier time, recorded and preserved as best we can and reconsidered afterward. There is no complete and knowable record of any part of the past, no magical, permanently accurate “history.” The records we are keeping now—filled as they are with contradictions, uncertainties and errors—are all that tomorrow can inherit from today. Each teeming, incoherent moment succeeds the last, Now upon Now, wave upon wave of recordings and photographs, testimonials and accounts—true, false, and everything in between—gathered together by librarians and archivists and hurled forward like a Hail Mary pass into the future.
私たちが歴史と呼ぶものは、できるだけ記録・保存され、後から再考された、過去の「今」に過ぎません。過去のいかなる部分についても、完全で認識可能な記録は存在しません。魔法のように永久に正確な「歴史」もありません。私たちが現在保管している記録は、矛盾、不確実性、誤りに満ちていますが、明日が今日から引き継ぐことができるすべてです。今に続く支離滅裂な瞬間は、前の瞬間に続き、今に続く波のように、真実、虚偽、その中間のあらゆる録音や写真、証言や説明の波が、司書や記録保管担当者によって集められ、未来へのヘイルメリーパスのように投げ込まれます。
In other words, nothing is “meant to be thrown away.” Nothing. People may someday want to look into what happened in any part of the world, among any of its people, at any time; and every researcher, reader, and writer will have their own ideas, ideas that we might find incomprehensible now, about what’s worth keeping.
言い換えれば、何も「捨てられるべきもの」ではないのです。何も。人々はいつか、世界のどこかの場所で、その人々の間で、いつ何が起こったのかを調べたいと思うかもしれません。そして、すべての研究者、読者、作家は、何を保存しておく価値があるかについて、私たちには今理解できないかもしれない独自の考えを持つでしょう。
高校講座
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ホワイの(感動的)Rubyガイド
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ホワイ・ザ・ラッキースティフ(why the lucky stiff)、 tumblelog の命名者だ
tumblelog を Rails と並び称しています。 tumblelog は、クイックでダーティーなブロギングフレームワークである。といったところでしょうか? tumblrは 先の、 anarchaia や, Projectionist といった初期の tumblelog にインスパイアされて作られたことが知られています。が、これについては、何千倍も良い記事があるのでそちらを示して終りにします。
ロバート・グラスパー Black Radio の話
このアルバムが象徴的ですごいものであるのはなんとなくわかりつつも、これを好きだとか面白いと思うかというとそれはまた別だな……と思い続けて10年。すべてワンテイクで録音されている表現力やインタープレイの能力の高さは改めて舌を巻く。その一方でどうにも好きになれないのは徹底的にソロを排除しているからなのか?それとも一歩引いたクールさによって強い熱狂を感じられない部分のせいなのか?Black Radioというアルバムのコンセプトによるものなのか?ちょっとわからない。ただ己の中で「D'Angelo / VooDoo」と「Hiatus Kaiyote / Choose Your Weapon」、それから「Kendrick Lamar / To Piimp A Butterfly」や「David Bowie / ★ ( Blackstar )」評価が異常に高く、VooDooの00年からChoose Your Weaponの15年までの間に納得の行くものが少ないということだけである。そしてVooDooはR&Bだがジャズではない。
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