1959年から61年にかけての大躍進政策は人類史上最悪の犯罪の2指か3指に入る
1959年から61年にかけての大躍進政策は人類史上最悪の犯罪の2指か3指に入る
主要メディアにおける過去一年で最も攻撃的な言辞について考えてみよう。私の一票は以下のブルームバーグの記事に投じる:
人民日報が参照した人口学者のうちの1人,何亚福はブルームバーグに対し,1,500万人という出生数は1949年に中華人民共和国が建国されて以来3番目に低いものだと述べた。この数字より下は,中国が自然災害と飢饉による被害を受けた1960年と1961年しかない。
ボブ・ドールが言ったかどうかはともかく,「怒りを感じないのか」というところだ。1959年から61年にかけての大躍進は,人類史上最悪の犯罪の2指か3指に入る。そしてほか〔の最悪の犯罪〕と異なり,これは私が生きている間に起きた。おそらくは3,000万人が毛沢東によって強いられた残虐な政策によって亡くなり,数えきれない多くの人が筆舌に尽くしがたい苦しみを受け,毛沢東は彼の行動が破滅的な結果をもたらすと警告されてさえいた。この犯罪が「自然災害」であると示唆すること以上に攻撃的なことなどあるだろうか。
A figure of 15 million births would be the third-lowest total since the People’s Republic of China was founded in 1949, He Yafu, one of the demographers cited by China Times, told Bloomberg News. It would only exceed 1960 and 1961, when the country was hit by natural disasters and famine.
日本語版では該当箇所の記述なし
別の記事
https://gyazo.com/7300784743179b28208aa2d5fddb36c4
Monday’s figures are the lowest since the turmoil of Mao Zedong’s Great Leap Forward, during which China’s aggressive push to develop industrial power resulted in widespread famine. The total population fell by 10 million in 1960, with a large number believed to have starved to death.
18年の新生児数は毛沢東時代の「大躍進政策」での混乱に伴う大飢饉以来の低水準。1960年には総人口が1000万人減少し、多数が飢え死にしたとみられている。
岡山大学経済学会雑誌 48(1),2016,45 〜 60
中国の計画経済時代における体制改革
滕 鑑
自主権を手にした地方政府は,大躍進政策(1958年)の煽りもあって,インフラ投資,企業の設備投資を増やした。急進的開発主義による過剰な投資と雇用は経済の非効率性をもたらし,また分権型経済体制はその急進的開発主義に拍車をかけた。さらに,1959年から1961年にかけて3年連続して史上最大の自然災害が発生し,中国の社会と経済が危機的な状態に陥った。そのため1961年には大躍進から経済調整へ政策転換が余儀なくされるとともに,経済体制は再び中央集権型に戻った。
1959から1961年にかけて発生した自然災害は人災とも言われている。1961年の中共中央委員会工作会議で,当時国家主席の劉少奇が「近年に起きたいくつかの問題は,全国の範囲で言えば,天災が原因だった地方があるものの,大多数の地方ではわれわれの誤りが主たる原因だ」と党指導部の責任を認めた(叢・張,1999,p.76)。