背景の方に意義が宿るのではないか
from 2023/05
背景の方に意義が宿るのではないか
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/june29/2023-05-14 Sun : 安曇野ちひろ美術館がとてもよかった#6463854cd205a70000e39369
Generative AI が盛り上がっている最近では「人間が絵を描く意義とは?」といった問いもあります。それでも。
いわさきちひろさんっぽいテイストの絵を生成することそれ自体にはあまり意味はなくて、
どんな想いでその絵を描くのか、描いた絵をどのように届けていきたいのか、そういった背景の方に強い意義が宿るのではないか、と思いました。
こうして文章にしてしまうと「それはそう」と感じてしまうようなありきたりな話だけども、ぼくは安曇野ちひろ美術館の中でたしかにそう感じたのです。
観る側からの視線に置き換えると、これら2つの根本的な違いはなにか?
いわさきちひろが描いたような雰囲気の絵
いわさきちひろが描いた絵
おそらく、その違いっていうは、絵そのもの、の話ではない
絵そのものを観るのか、絵の向こう側にあるその絵を描いた人との対話であるのか、
みたいな話かな?
遮蔽想起、隠蔽記憶、"Screen Memory" に関係あるようなないような
遮蔽幕 の話、というか
「遮蔽するための幕」というよりは「投影するための幕」の話
いわさきちひろが描いた*らしい*作品に、いわさきちひろという個人の持っていたと思われる意義を投影する