世の中に広く散らばっている偶然は大きな力で集約されていく
世の中に広く散らばっている偶然は大きな力で集約されていく
赤瀬川さんは子供のころから絵を描くのが好きだったそうで、自宅の資料の中にもイラストの仕事や絵が描かれたメモが多く残されています。絵を描くことは赤瀬川さんの日常生活の一部であり、その延長線上に前衛芸術家の赤瀬川さんがいました。しかし、その後、自分の手で造形する芸術から、コンセプトが重視され、形骸化してしまった作品が画廊や美術館といった特権的な場所で展示されていることに次第に疑問を感じていたことが述べられています。赤瀬川さんがさまざまなメディアに残したマルセル・デュシャンについての言及からも、芸術と日常との境界線に常に関心を向けられていたことが読み取れます。赤瀬川さんは『芸術原論』の「デュシャンからトマソンへ」の章に、芸術は見えないほどの微粒子となって世の中に散らばり、そうやって拡散した芸術が路上で発見されたものがトマソンであると書かれています。心理学者の秋山さと子さんとの対談の中では、世の中に広く散らばっている偶然は、何か大きな力で集約されていくのではないか、という話をされています。展覧会のタイトルは、この2つの赤瀬川さんのコメントをベースとしています。現代のアーティストが選んだ赤瀬川さんの写真から、日常に散らばった芸術の微粒子と、それらが集まって一つになるものを探して愉しんでいただけましたら幸いです。 芸術は見えないほどの微粒子となって世の中に散らばり、そうやって拡散した芸術が路上で発見されたものがトマソンである
世の中に広く散らばっている偶然は、何か大きな力で集約されていくのではないか 偶然の話