世の中に広く散らばっている偶然は大きな力で集約されていく
世の中に広く散らばっている偶然は大きな力で集約されていく
2023
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写真のセレクションは、赤瀬川さんの活動をリアルタイムに知る最後の世代と考えた70年代生まれと80年代生まれのアーティストから、赤瀬川さんに何らかの影響を受けた、もしくは共通するアイデアが見いだせる、伊藤存さん、風間サチコさん、鈴木康広さん、中村裕太さん、蓮沼執太さん、毛利悠子さんの6名にお願いしました。 赤瀬川さんは、撮影した写真のスライドを眺めることのたのしさについて『老人とカメラ : 散歩の愉しみ』(1998年実業之の日本社)に書かれていますが、アーティストがそれを追体験するような作業、そして鑑賞者がまたそれを感じ取れるような展示になればと考えました。赤瀬川さんの独自の視点で切り取られた風景に、さらに現代のアーティストの視点が重ねられることを試みた企画でもあります。6名のアーティストには、それぞれ約20枚ずつ写真を選んでもらい、①赤瀬川さんから受けた影響・赤瀬川さんに対する想い、②写真を選んだ理由(セレクションのテーマ)をまとめてもらいました。 赤瀬川さんは子供のころから絵を描くのが好きだったそうで、自宅の資料の中にもイラストの仕事や絵が描かれたメモが多く残されています。絵を描くことは赤瀬川さんの日常生活の一部であり、その延長線上に前衛芸術家の赤瀬川さんがいました。しかし、その後、自分の手で造形する芸術から、コンセプトが重視され、形骸化してしまった作品が画廊や美術館といった特権的な場所で展示されていることに次第に疑問を感じていたことが述べられています。
赤瀬川さんがさまざまなメディアに残したマルセル・デュシャンについての言及からも、芸術と日常との境界線に常に関心を向けられていたことが読み取れます。赤瀬川さんは『芸術原論』の「デュシャンからトマソンへ」の章に、芸術は見えないほどの微粒子となって世の中に散らばり、そうやって拡散した芸術が路上で発見されたものがトマソンであると書かれています。 心理学者の秋山さと子さんとの対談の中では、世の中に広く散らばっている偶然は、何か大きな力で集約されていくのではないか、という話をされています。 展覧会のタイトルは、この2つの赤瀬川さんのコメントをベースとしています。現代のアーティストが選んだ赤瀬川さんの写真から、日常に散らばった芸術の微粒子と、それらが集まって一つになるものを探して愉しんでいただけましたら幸いです。
芸術は見えないほどの微粒子となって世の中に散らばり、そうやって拡散した芸術が路上で発見されたものがトマソンである
世の中に広く散らばっている偶然は、何か大きな力で集約されていくのではないか
『六本木の“お隣さん”に突撃できる、自由なピクニックを』
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蓮沼執太×毛利悠子