織田信長
守護と地頭には軍事の動員権がある
エリアが広い守護は県知事,地頭は市長ぐらいの規模感
朝廷の力が弱まってきて税金を取れなくなった
織田信長
武士 諸説あるが、地方の武力集団が力を持った
寺社勢力 権力、武力が強かった
領地の管理 墓地の管理
平等に、逃げた人を受け入れる
死を司る
治外法権
逃げ込む場所
公家 武家 寺社
武家は領地を経営している経営者でもある
公地公民 皆兵制 みんな兵士の制度
東日本などからの外敵に対抗するために,皆兵制から傭兵を訓練する制度に変わる
馬に乗って弓を射る訓練をさせる
お金でやとう
支配下に置いて領土内に分散配置する
反発が大きい
公地公民
↓
班田収授法
↓
官僚制が不十分、うまくいかない 不正も多い
↓
墾田永年私財法
中央が地方の土地を認めることことになる
地方に力が移っていく
義経、後白河上皇 に官位をもらったことで、
頼朝が殺さざるをえなくなった
幕府、軍が陣を張っていること
京都にいなくてもいい、一番位の高い役職
頼朝、京都にいたくなかった
結果的に、東日本も日本になった
1185年 守護と地頭の任命権が源頼朝に与えられた
実質的に支配していたが、国から正式に認められた
正式に認められないと、服従感がある
国に認められた御家人、関東にいる
西日本に御家人を送り、実質的に日本を支配した
平氏は日宋貿易で儲けた
源氏は坂東武者として、地頭で土地を獲得していった
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室町幕府
コンパクト 関西地方のみ
足利家 足利義満
有力な守護が京都に集まる
中央政治に参加する守護→大名(たいめい)
守護,本国の統治を守護代に委任する
守護代が力を持ち始める
実質的に,守護代が地方を治めている
将軍の権力が弱くなり,守護が地方に戻ったときに,守護が守護代に負けることが起こる
足利家,専制,合議制を繰り返し,ガバナンスが低下していった
幕府がコントロールできなくなる,無政府状態
下剋上
幕府が守護代に直接命令するなど,一段とばしで命令する
幕府が自分でシステムを壊している
大義名分はある
守護
織田家
信長の家は,守護代の部下
その他勢力
斎藤道三
taisei117.icon刀剣ワールド
日本刀は現代の自動車とか財布・バッグっぽい?
力を示す装飾品として
傍流の家柄
信長の父、信秀も優秀だった
戦国時代の大名は,みんな勉強していた
国を統治するのに勉強せざるを得ない
弾正忠家 だんじょうのちゅうけ
明応の政変、弱まる幕府権力/永禄の政変、将軍暗殺/足利義昭の要請/信長、上洛の決断/一度は仲裁で和睦するも/『上洛』とは?/所領か上洛か大名の悩み/美濃平定/政界の中心へ
家臣が将軍をやめさせたり暗殺したり,将軍の支配権が落ちている
➡民主主義っぽい
信長
自分の領地を守ること
家臣団を食わせること
足利義昭の上洛への協力
➡
和睦を結ばせた
➡やっぱり和睦が信頼できないので,美濃と戦うことになる
8年かかった戦争,33才ごろに平定,天下布武という言葉を使い始めた
天下布武,将軍義昭,畿内を平定する,という意味だったのでは?
➡面子を失う
最終的には上洛する
信長,義昭から褒賞を得る
No.2の地位を得ることができたが,別の土地の支配権を求めた
港を得た
その場にいる人を家臣にする感覚
土地を新たに与えることは,戦国大名はあまりしなかった
信長はトップダウンの支配権,直接動かせる戦力が多かった
信長は普通だった?
そこまで革新的ではない
天才というよりは,ラッキーな秀才.ちゃんと優秀だった
要所要所でやることをちゃんとやる
この後,将軍と対立することになる
三方ヶ原の戦い
反織田陣営との戦い
家康うんこ漏らす
5か条の・・・
17か条の意見書
足利義昭が反乱する
本能寺の変は普通のこと
死ぬ気でやるのは死ななくていい人だけ
信長、優秀、堅実なタイプだった
楽市楽座、状況に応じて使う
座の解体、税金の軽減
息子に家督を継がせる
有力者と権力者が同一の人物だった
珍しい状況
美濃尾張は息子の信忠に譲る
将軍義昭、毛利氏と同名を結ぼうとするが、
織田家、多数の国と接することになり、敵が増える。毛利とも敵対することに
利害が対立する構造
オセロ、有限のマスの陣地取り
安土桃山城を築城する
守るためではなく、広範囲の国を収めるための立地の選択
織田家、城に対する帰属意識が低い?
楽市楽座、荒廃した土地に人をよぶための政策
関所の撤廃
南蛮貿易
硝石、火薬の材料は貿易で入手
方面軍
足利義昭を始めとする、反織田勢力との戦い
広範囲の敵との戦い
信忠、のぶたか 長篠の戦い 武田家との戦い
柴田勝家 北陸
佐久間信盛 大阪 一向しゅう 活躍できず、追放される 出家を命ぜられる
羽柴秀吉 対毛利家 身分が低いため、元々の家臣がいない
中国大返し 常識的な速度だっとされている
滝川一益 関東方面平定
明智光秀 畿内方面軍 防衛
なんでもできる、優秀な人材。元々は義昭の下についていたが、信長の部下に。
クッソ優秀な人たち
信長の強さ
家臣団のマネジメント 自分で権威と権力を持ったことで、ナチュラルに命令できた
方面軍の形成に成功
インセンティブとして軍事権を拡大させた
土地と人を切り離して動員できた
美濃、尾張が生産能力が高かった。畿内を抑えるのに良い場所だった。
信長はめっちゃ裏切られている
結局織田家が得をする構造
外様な武将が裏切る
家臣と信長の関係性があまりなかった
単純に活動量が多かった
再現性があることは属人性が低いのでは
本能寺の変
足利義昭と信長の部下でもある、仲介役
軍事面でも才能を発揮し始める
これとうという名字を与えられる
柴田勝家から嫉妬されるぐらい、重用される
参謀、行政、武将、どれも強い
たまたま、信長が防御が薄いタイミングがあった
→本能寺の変へ
光秀:長宗我部と話を進めていた
信長:三好と結び、長宗我部を倒すことに方針転換
取次の役割、かなり上の立場だった
明智家、長宗我部との同盟の派閥だった
中央政権の意思の流れに沿えなかった
今後、明智家の立場が悪くなっていくことを予期していた?
その中で、信長が無防備だった
信長の死に際の発言、ぜひもなし。リスクは承知していた?
弥助は見逃される
秀吉、すぐに引き返して、明智光秀を討った
死ぬときは一瞬
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想像と違う幕府のかたち