民主主義の歴史
https://youtu.be/cewrLaqwITA?si=rNdviLng_2FKmub4
民主主義の語源は古代ギリシャのデモクラティア
民衆による統治、支配
人間間の意志決定については有史より前からあった
合議制はそれ自体が 民主主義ではない
同じ時間に集まるとかルールが決まったのは古代ギリシア ぐらいかららしい
民主制 寡頭制 独裁制のどれがいいかという 議論した記録が2600年前ぐらいにある
ダレイオス1世の時代
独裁性は暴力的になりやすい
エリートによる統治の可能性は 派閥争い などが生じやすい
素晴らしい 当事者が独裁をした時が一番良い
古代ギリシャのポリスが政治のポリティクスの語源
アテナイでの状況
公務員がクジで選ばれる
日本の裁判員制度 のような感じ
民主主義の駆動に対して 主体性があった 自分たちの意思でやっているという プライドを誇りのようなものがあった
戦争に民衆が手伝うと民衆の発言権がます それが民衆主義につながる
利害関係が固定化しないようにするシステム
ローマ
共和制 市民から 代表者が選ばれて政治を行う
ローマの共和制はギリシャの道義 性の 民主主義の批判として生まれている
多数決は部分的な意見の反映に過ぎない
マグナカルタ
イングランドを統治していた フランスの方が1台目 2代目はあまり 積極的に投資をしなかったが3代目 の代で先生 正常 しようとする時に 貴族から反発があり 貴族との間で交わした文章
国王も法の下に入るというもの
ヘンリー 三世 VS シモンドモンホール
指紋 どもんホール の議会
オート 貴族と争いが繰り返され貴族側が力が強かったため 議会に 庶民が呼ばれる
13世紀後半
地域共同体の代表が国政に参加する
多くの市民から税金を集めるために 市民の意見を聞く必要があった
国王の専制を抑制するために有力な貴族が議会を開いている
エリザベス1世の死後 スコットランド王のヘンリーがイングランド王になる
ヘンリー が王権神授説を主張し議会と対立する
イギリスでは議会が力を持ち 発展していく
フランスでは絶対王政に進んでいく
社会契約説と社会契約 労務
社会契約論は ルソーの著作
社会契約説は全体的なところ
力を持った平民が現れたが依然として 身分による差が全体的なものとして存在した
冒険 真珠説に対抗するものとしての社会契約説
宗教戦争 ヨーロッパを統一的に収めるものは ローマ帝国以降現れなかったが カトリック系のキリスト教がその役割を果たしていた
時代が進んでくると宗教が社会の秩序にとって邪魔になってくる
イギリスでは王様か 議会がどちらに主権があるのか それによって対立が起こっていた
宗教では主権についての説明ができなかった
ホッブズの登場 全てをゼロベースで考え直した
人間の本質は自分の生命の保存であるとして他人と契約をすると それがやりやすくなるというのがベースの考え方
著書 リヴァイアサン
個人から社会が形成されている視点の転換
万人の闘争
自然権 自分の命を守るために行動することが認められる権利を定義した
自然法 理性的に動くと相手に危害を加えない方が良いのかという感じの 常識的な行動が優先されること
各自の自然権を放棄して第三者に委ねた方が結果として 各個人が生存できる確率が高い。 委ねる相手は主権者となる
権力が集約したものはものすごい力を持つ これを リヴァイアさんに例えて
理系的な発想ですでに存在する法則を発見するような取り組みを行った
ジョンロック
命プラス 財産が守られるべき
ルソー はそこに自由も加えた
政府が悪い場合は これを打倒しても良いというのが ジョンロックの考え
労働による貨幣の蓄積によって財産の差分が生じる
それが闘争のきっかけになる
その調整機能として政府が必要だったから発生した
王権神授説を否定するような考え方になる
立法権、行政権、連合権
立法権が一番強いとした
国民主権主義の元となる考え方
ルソー
社会契約論
いかにして 政府などの権力と付き合いながら 自由を両立するか
自分の意志で決めたことに自分が従うことができることが自由
自由という概念を考える時に個々人が自由であるためには 各個人が自分をコントロールできている状態である必要がある
一般遺志
概念として かなり ふわっとしている
全体 石の利害を調整したもの
特殊医師
個人の人間の医師
全体意識
多数の人の特性医師の総和
民主主義に反対する場合 この一般 医師 否定する必要があるが それが非常に難しい
一般医師を信じるという信仰に近い
フランス革命
混乱期は民主主義ではなく独裁制の方が好まれる傾向があるのかも
フランスは王政と 議会 側の政治の主導権が複数回入れ替わる 混乱の時期があった
フランスに産業革命が入ってきて 民衆の不満が増大する
カールマルクスが現れる
ワイマール共和国
民主主義の中で ヒトラーが現れる
第一次世界大戦の後半
配線 濃厚の中 新たに出兵しようとすると軍隊の中から 反乱者が現れる それが全国で起こった
ヴィルヘルム2世はオランダに逃亡する
ドイツ帝国 が終わる が新しい国家の形は不明
デモに参加した民衆が主権を訴える
シャイデマンがドイツ共和国を 民衆が勝手に宣言する
ドイツ亭ドイツ共和国が ワイマール共和国
ワイマール憲法を設立した
社会民主党が 38%の議席、連立政権が ワイマール連合
大統領制を取り入れ 男女ともに国民に投票権が与えられた
先進的な憲法だった
緊急時は大統領が憲法を停止できる など 強い権限を持っていた
戦後 ベルサイユ条約が結ばれる 戦争後の保証などの取り決め
ドイツに門の負担があった
社会民主党や ワイモバイル連合が 議席を失っていき 右翼と左翼の議席が多くなった
右翼のナチを支持 せざるを得ない状況だった
経済的に状況が悪くなると民主主義的な意思決定の遅いものは難しい
強いリーダーを求める
議会が割れたら 機能しなくなる
それを ヒンデンブルク大統領が 何とかしていた状況
その後 ヒトラーが現れる
民主主義が機能不全になっていく
社会学者 マックスウェーバーが大統領権限を強くすることを提言したらしい
大統領が立派な人であることを想定して 大統領に多くの権限を与えるとした
憲法で民主主義的な条文があったとしても 民衆の中に民主主義の精神がないと民主主義ではなくなっていく
正しさが 1つに定まらないことが 民主主義の本質かも
ハンナハーレント オルテガ
アメリカの民主主義
アメリカ独立宣言 ジョンロックに影響を受けて自由という 言葉 が入っている
1770年代
3/5憲法 黒人奴隷は3/5 だけ 権利が認められる
各国が独立性が高かったため 調整が難航した
民主主義は不安定だが 共和制 を選択している
共和党は少数のエリートが政治を行う方法
民主党はより多くの国民が政治に参加することを狙う
フランスからトクビルが20代の頃に アメリカに 視察に来る
アメリカは街を自分たちで作ったため 自治の考え方が強かった
自分たちは誰にも従属していないという感覚が重要
ワイマール憲法は憲法としてはよくできていたが それを扱う人に 民主主義的な感覚が乏しかった
プラグマティズム
誰もが 各自の信念を追求して良いとするもの
その良し悪しは実践の結果によって判断する
イギリスと日本の民主主義
イギリス 1918年に全人口の6割ぐらいが有権者になる
1928年に女性の限定的な酸性系が撤廃され成人の普通選挙にな
国民の信任が得られていないと 議会がうまく機能しないこともある
国民投票が必要な場合など
日本の場合
明治維新
西郷隆盛は明治維新を起こす 側ではあるが出来上がった 政府に対しては反発していた
西南戦争で散る
板垣退助は 戊辰戦争で新政府
進 政府軍は 武士 以外の加給の市民も軍隊に動員していた
退助は軍人としての手柄を視聴した
自由民権運動
民選議員設立の建白書
福沢諭吉 明治維新の2年前にアメリカの独立宣言を翻訳している
日本には儒教をベースで それを取り入れていた
知識人の留学先が違ったこともあり 様々な国の民主主義のシステムがモザイク的に入れられた
現在の民主主義について
情勢が不安になると民主主義は維持が困難になる
代表性は原理的に 一般 医師が働きにくい
尻舞台への配慮が必要になる
理性的な人間であることが前提なので ストイックな要素が強い
スタートアップと同様に間違えて改善していく必要がある
Sky さん的には 東洋的な個人の意志 個別性がある場合とない場合でのダブルスタンダードが必要0
状況に応じて適宜 必要な方を使用していく