手塚治虫
手塚治虫
父親 写真、映画
母親 芸術的
クリエイティブな刺激を受け続ける
リボンの騎士、小さい頃の世界観をベースに描かれた
男装する女子
小学校、めっちゃいじめられる
母親から我慢することをすすめられる
いじめられないように、漫画を描き始める
漫画が面白すぎて、先生にも認められる
中学生の頃に太平洋戦争
勤労奉仕、サボって漫画を書き続ける
中学校の美術教師 岡島先生、支えてくれる
戦争の中でも、漫画を描くことが才能、描き続けなさいといわれた
17才、大阪大空襲、爆撃の監視、命かながら逃げた
戦争は地獄そのもの、現実でないと感じる
プッツン切れた、国とかどうでもいい、家にこもって狂ったように漫画を描き続けた
1945年8月15日、敗戦
街に電気が灯ることに深く感動した
これで漫画が描ける、と思った
一生で700作品描いた
新宝島 ストーリーのある作品のはしり
200ページ書き下ろし
40万部の大ヒット、喜怒哀楽、ハッピーエンドで終わらせない
戦後の子供達への計り知れない影響
若者達がこぞって漫画家を目指すように
大阪帝国大学、医者を目指していた
医者と漫画家で悩む
母親、本当に好きなのはどっち?
→本当は漫画
医学部は卒業した
優秀だった
国家試験も合格している
26才で長者番付、普通の人の10倍の年収
若手が登って来たり、漫画戦国時代へ
ディズニー、中国のアニメ、日本のアニメに触れていた
アニメが好きすぎた
白雪姫を50回ぐらい観た
虫プロダクション
アニメのスタートアップ
漫画で得られた資金を全投入
鉄腕アトムのヒット
→アニメ産業
虫プロダクションの資金繰りがうまくいかない
どん底の状態
ブラックジャック、三つ目がとおるなどを連載、漫画家として大ヒット