切腹の歴史
日本人の言語空間に切腹が根付いている
日本の切腹のイメージは,江戸時代の切腹
平安時代 藤原保輔 貴族・盗賊 が初めての切腹とされている
命より大事なものががある感覚
源為朝の切腹の仕方が,かっこよいという風潮
平安時代の切腹の意味:おかしすぎて腸がよじれる
平安貴族は,伝統に縛られる
武士は,自律性が高かった.行動の自由が認められていた.
ロックな生き方が尊ばれる
人の名誉や評判を評価する想像上の空間
先祖から子孫まで,時間感覚が長い
現代的には,背負いすぎでは?
戦国時代の切腹
刑罰としての切腹
城を落として,城主を切腹させ,農民等をコントロールした
江戸時代
幕府の刑罰として成立する
それまでは作法が統一されていなかったものが,作法が細かく決まってくる
腹を切らない切腹
木刀などで腹を切ったり,手をかけたらすぐ介錯する
人に見せるための自害
死が目的の一部でしかない
ブロックチェーンみたいな感じ
追腹
主君の死を追う
無念腹
腸を掴みだす
十文字腹
正確にはL字、派手
腹には霊魂が宿るとされていた
丹田 武士とともに、禅の考えで丹田が重要だった
新渡戸稲造
腸を相手にみせる。判断は相手に委ねる
稲作が東に拡大しなかったため、狩猟が多かった?
狩猟の際に、動物の腹を割く行為が多い
東日本の武士で、切腹が生まれた?
白羽の矢がたった家の娘を生贄に
人柱、人身御供
コテンラジオ
文化はアプリのように気軽に変えられるものではない
→OSっぽい?アップデートは大変
社会のOSという意味がわかりやすいかも
刑罰としての自害
奈良時代からあった
室町時代に切腹が始まった?
自尽 自分で自分のけじめを付けられる
江戸時代では,切腹は武士だけ
農民は切腹ができない
武士は些細なことで喧嘩する.喧嘩は小さい戦争.売られたら引くに引けない. どうしても死ぬしかない選択肢に追い込まれることが多い
主君を立てて死ぬか,主君に殺されるか
脳か心臓か,どちらを撃ち抜かれるか選べることに似ている
文化はなかなか変えられない
アテンションエコノミーもそれっぽい...
室町時代に,相手を喧嘩で殺してしまった場合,喧嘩両成敗で切腹させる
加害者個人に責任を追わせるのではなく,所属している手段に対して配慮するために,責任の層で引き分けにさせる
江戸時代,争いがなかったため,喧嘩が武士としての存在証明になっていた
囲碁で喧嘩して切腹
金沢,囲碁の勝負に助言したことに腹を立て,相手を切った(九十郎 16歳,相手は13歳だった)
喧嘩両成敗,九十郎が切腹を命じられる
上司からは,九十郎の行動が武士として高評価だった
江戸幕府の中で,制度化されていった
ただし法律には記載されていない
江戸時代初期,戦ができなくなった武士の衝動,主君への殉死で晴らされた
→殉死ブームが起こる
切腹は刑罰として明記されていない
曖昧にうまく済ませる日本的な処理
噂が流れると,リカバーできない
やり直しができない方がいきいきしている?
世間を騒がせると,武士として切腹しないといけない
世間によって切腹を強要される
自分で自分の運命を切り開ける
切腹は自分の死を決められる
トラブルの治め方としては,切腹が非合理的にみえるが合理的な方法だった
将棋
参りました の形まで持っていく
3手先で積み あたりまで
参りました はルールに明記されていていない
現代の自殺とは異なる
動物は自殺しなさそうという見解
人間の死についての考え方
一神教だと自殺は禁止される
自殺が肯定されるのは珍しいのでは
日本の自殺率の高さにも影響しているかも?
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感想,連想など
一般的にこれぐらい,というのを自分にも求める感じ
切腹に似ているかも