ゴッホ
神の言葉を種まく人になりたい
農民の手を描くことにこだわりを持つ
絵が売れない
弟の仕送りで生活
日本の芸術にも影響を受ける
自然に着目
草→糸杉を描く
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「ゴッホ 草木への祈り」 - 日曜美術館 - NHK
側頭葉てんかんの病気
妥協できない
1853年 オランダで生まれる
祖父が 聖職者
家は金属細工 アートと宗教的な分野で成功していたと思われる
父親も聖職者 教育にお金をかける
母親は 製本 業者
弟はゴッホを支えた
小学校中学校ともに 中退
全てに全力
共感力が高かった
就職してからは 絵を書くようになったが、画家としての活動は その後
就職先では なじめず 解雇された
失恋して 聖書の研究にもっとするようになった
進学校に入ろうとしたが入学できなかった
伝道師天童市 見習いとして活動した
両親はゴッホを精神病院に入れようとしたが ゴッホが拒否した
古い宗教的な価値観との決別 もあり 画家を目指すことになる
デッサンを練習してから油絵をかき始めた
理論を学習している
じゃがいもを頬張る農民たちの絵を友人に酷評された
弟のいるパリに行く
弟は画商として成功していた
弟 テオの家で絵を書くようになった
印象派と浮世絵から影響を受けた
印象派は権威に対するアンチテーゼ
パリでは成功できず 南フランスに移動する
ホテルに泊まっていたが 絵をかきすぎたりして迷惑になり追い出される
家の部屋を借り上げた 黄色い家と呼ばれる
他の画家との共同生活を夢見ていた
ゴッホは宗教団体からは拒絶されたため 共同体への参加を憧れていた
ナザレ派の画家 プロテスタントの方 は宗教 生活芸術が一体となって生活していた
近代化 工業化により宗教の力が薄れる その代わりを人は求め 自然崇拝に繋がった
自然を宗教の代わりとして芸術としても表現する
ゴーガンは最初は乗り気ではなかったが テオの説得により参加する
ゴーガンは過去にゴッホのひまわりの絵を気に入っており ゴッホはゴーガンのためにひまわりの絵をたくさん書いた
ゴーガンが来て2ヶ月で生活が崩壊する
ゴーガンがあアルルから出たいと いう意志を伝えられゴッホは精神的に崩壊していく
テオも結婚するという連絡を ゴッホにした
その後、ゴッホは耳を切り落とした
切り落とした耳は ラッセルという娼婦に渡した
耳を渡すことは、娼婦への施しの感情があったと思われる
精神病院に入れられ監禁される
精神病の発作が収まってる間は絵を書いていた
アルルの町の人がゴッホを見世物小屋のように扱ったためアルルを離れサンレミの病療院に移動する
サンレミの1年間がゴッホの最も名作を生み出した時期だった
パリ近郊に移り住む 最後の2ヶ月
医者 ガシ博士と交流があった 博士は画家のパトロン なども行っていた
ガス博士は手をが紹介した
手をの子供をゴッホに会いに連れて行った
ゴッホの母親はゴッホのことを最後まで嫌っていた
ゴッホがテオの家に訪問した時、テオは子供の看病をしていて家の雰囲気が悪かった
ゴッホがテオの重荷になっていることを再認識して、ゴッホの精神状態 もまた 悪くなっていた
自殺に繋がる
他殺説もある
その半年後 テオもなくなった
テオの妻 要は ゴッホの作品を有名にするために頑張った
ゴッホ、テオに対する自責の念があったかもしれない