ムガール帝国
ムガール帝国
1500年代から
インド ムスリムの国
2024年で人口 14億
パキスタンとバングラディッシュはインドから独立した それを含めると18億
年前から
ヒマラヤ山脈 大陸がぶつかった時にできた山脈
ヒマラヤ山脈と海に囲まれているため 他の国から来づらい
北西には空いてるところがあるため 全く来ないというわけではない
インドの語源
インダス川がスィンドゥー
ペルシア語で H が 抜ける
ヒンドゥー教とかも同じ語源と思われる
インドは国が大量にある状態
EUとかと似てるかも
人材が豊富 アメリカの it の大手の社長も インド人が多い
イギリスの植民地支配の後 選挙で代表を選んでるため 民主主義を維持している
1991年 経済自由化を行う
9000年前頃 狩猟採集から農耕 へ移行する
紀元前2000年から3000年ぐらいに突如 高度な文明を持つ インダス文明が起こる
6000年前ぐらいにすでにメソポタミア文明との交流があったと言われている
モヘンジョダロ 都市の遺跡
計画して作られたもの
インダス文字 まだ解読されてないがコンピューター 解析が進められており 南インドの方の文字とされている
紀元前1800年頃に インダス文明が滅びた
川の氾濫や移動が起こった説がある
その後はアーリア人が入ってきた
ヴェーダの時代
首長 ラージャ
リグ ベーダ
もともとの インダス文明の人を ダーサやダスユと呼び 争いが起こっていた
アーリア人が複数の部族が入ってくるためその中で争いが起こり 皇帝的な人が出てくる
王の権威を示すため 王の即位式の儀礼を細かくやるようになる
これがバラモン教 に繋がっていく
アーリア人の生活感覚
発言した言葉が実現するという感覚を強く持っていた
言葉を間違えないように言う 意識
悪いことを言わないようにする、言ったことを守る
バイシャの下にスードラが出てくる
ヴェーダの宗教を信仰していない人たち アーリア人以外
〇〇ヴェータがいっぱいある
インドは暗記 暗証を重要視している
データは文章で残されたものより家電の方が 表記 揺れが少なく正確に残っていた
サンスクリット語は人造言語 2500年間変化してないという説もある
語彙に対して厳格だった
サンスクリット語を使って哲学をしていく
インド哲学
ヴェーダの宗教 知ること
ヴェーラの祭祀 火の神に生贄を捧げる
火の神 アグニ ヨーロッパでは イグニス
祭りが終わったら準備したものを壊して更地にする
デーヴァとアスラ いい神と悪い神がいる
ルールの神 ダムの神などがいる
最初は自然現象 概念 そのものだったが擬人化してくる
祭式をちゃんとやることによって宇宙がうまく回るという感覚になってくる
ヴェーダの聖典
ブラフマン
マントラ
サティア
ちゃんと唱えれば 宇宙がその唱えた通りに作られる
相対的に神の立場が弱くなるので 哲学が深まってくる
整理されたヴェーダ語が サンスクリット語
苦行は アーリア人が開発したものとされる
もともとは ドッグ キノコなどの幻覚を見ることができるもので 神の声を聞いていた
インドに移動してきたことによって その材料がなくなって苦行を編み出したという説がある
ウパニシャット 哲学
神なしでも世界が回ってしまうことによって神を排除して哲学で世界を思考しようとする
アーデイシャ 神秘的同置
同置 藁人形を釘で刺したら 本人がダメージを受けるのは藁人形と本人を同一視している
シャンデリアという人が宇宙と自分をどうしたものを 論理的説明しようとしたのがウパニシャッド哲学
梵我一如
ウパニシャッドバニ哲学の最初の哲学者ウッダーラカ・アールニ
有は有からしか作られない
有が思うと世界が作られた
ヴァイシーシカ学派
言語で表現したものは全て存在するという考え
水瓶がないということが存在する
無があることを説明できる
輪廻の説も広まった
0ウッターラカ アール二
クシャトリア 階級で輪廻説が流行っていた
バラモンが祭式を行っていたが
バラモンの中で解脱 に向けて修行するなどする集団が現れた
ジャージニア ヴァルキュリア 出家をして修行した
自己を 認識するものと 自己は別
クシャトリアではなく バラモン は それより下の階級に教えを広めていった それが ヒンドゥー教になる
ヴェーダの宗教と混ざる
サンドラッグタの息子 サムドラッグタ
カースト制
ヴァルナ
ヴァイシャ シュードラ バラモン などの区分け
シュードラはアーリア人が攻めてきた時の隷属させた現地民
バラモンが示していた区分け
バラモン クシャトリア バイシャ シュードラ
その1000年ぐらい後に付加 職人が増える
ダリッド
バラモンがシュードラに教えるようになり 狩猟採集していた人たちを新たな被差別民とした
8世紀頃に ようやく社会に定着する
ジャーティ
職業 集団 世代を超えて受け継がれるもの
世襲制、同一のジャーティの中でしか結婚できない
ジャーティごとに 序列がある
同じ仕事の内容でも地域が違えば別のジャーティになるため 結婚できない
自分より身分の高いジャーティと食事が一緒にできない
各ジャーティがどの バルナ に属してるかが重要
イギリス 植民地時代に カースト ジャーティーを明記するようになった
現代では弱まっているが、内婚の文化は残っている
ダリッドへの差別は強い
it 系の従業員はだいたいバラモン
差別の再生産は教育によってしか変えられないと思われる
メディアエンタメなども教育のうち
紀元前6世紀 ヴェーダの時代 ブッダが出てきた頃
鉄が使われ始める
農作物の収穫量が増え 余剰生産力が上がる
政治が進んでくる
16 大国 アーリア人の強い国が16個あった
マカダ 国
官僚制、常備軍のある国もあった
てつや 農作物などの資源があった
アレクサンドロスの進行もあった北西のみ
マガダ国のマウリア 朝が より強力な 統一国家を作った
アショーカ王インドの南側も支配下に収めた
仏教も手厚く 保護した
バルナ制は維持している
完了性を維持するための資源を確保することができなくなりマガダ国は滅びる
カニ シュカ 王
クシャーナ 朝
イランやアフガニスタン まで支配している
中国は漢、交流があった
ササーン調 ペルシアに滅ぼされる
イラン人の国
グプタ朝
インドアーリア人の国
ヒンドゥー教科 しつつあるバラモン教 を取り入れる
サンスクリット語を公用語とする
サンスクリット王権モデル
小家族の集まりがジャーティーになっていく
ジャーキーにバナナ の概念を入れようとして 序列がついた
バクティー 進行
バラモン教が民衆に受け入れられるようになっていく
特権階級 無しでも良くなった
6世紀から14世紀 ぐらいまではインドがカオスな状態
統一国家は現れなかった
その後 ムスリムがやってきて 統一する
11世紀頃 オスマン帝国 がインドに進行してくる
13世紀頃デリーに 王朝 が建てられる
11世紀 中央アジアにガズナ朝が
ガズナ朝の中の1人が作ったゴール朝
ラージプートの人たちを打ち破って領土を獲得する
ゴール王朝の中の1人アイバクが奴隷王朝を作る
アイバクが奴隷出身だった
18世紀頃までムスリム王朝が続く
複数の王朝があったが デリー スルタン朝という くくり
ラージプートがまとまりがなかった
ムガール帝国 は するたんではない
ティムール
中央アジアで軍事的に強い人
略奪を行う集団のトップから国レベルにまでなる
軍事的に強かった 中央アジアで無敗の ティムールがインド方面にやってくる
インドを破壊 略奪した
ムガール帝国は ティムールの子孫が作る
バーブル
ウズベキスタン あたりの出身
ティムールの子孫 母方はチンギスハンの末裔と言われている
11歳で父が亡くなり 叔父二人に追われる形になるが祖母の助言に従い 切り抜ける
サマルカンド
バブルは14歳でサマルガンドを奪うことができた
無血開城 だった
荒れ果てすぎていて復興できなさそうだったので部下が逃げたりした
弟が故郷を奪い制圧していた
色々あって 味方がほとんど死滅したが仲間を増やしながらカーブルを無血開城 した
パード シャア を名乗る
ティムールの後継 であるという認識
イスラム的な雰囲気ではない
28歳でサマルカンドの奪還に成功
サファビィ朝の支援を得てウズベックの占領下であった サマルカンド 高性圧する
その後もサマルカンドを奪われたりして諦めかけていたので インドの方面に目を向けることになる
ムガール帝国の ムガールはモンゴルという意味がなまったもの
インドの北から来るものは全部がムガールだった
1530年 48歳でバーブル亡くなる
長男フマーユーン23歳
兄弟がいて 皇位継承を狙われている
アフガニスタン 方面を攻めたが敗北し ムガール帝国 がなくなる
セール シャア
ムガル帝国の後うまく収めた
亡命中にアクバル大帝となる 息子が誕生
シェール シャアが事故で亡くなる
サファリ 町の援護を受けて まーゆうが奪われ 帝国を取りに来る
15年ぶりに 王座に着く
フマーユーン47歳で階段から落ちて 事故死
バイラム ハーンアクバル大帝の殺生摂政として仕える
ハーレム 勢力を使ってアイラブハーンが邪魔になったので追放する
ハーレムも邪魔になってきたので 乳母 の息子を2回投げ落として殺害する
三代目になり 土着感が出てきて ラージプート と手を組む
ラージ 封筒の娘と結婚する
アクバル が独自の宗教を作ろうとしたが失敗する
音楽 踊りを重視する 宗教観を持っていた
スーフィズム
イスラム教徒以外にかけていた税金を払わなくてよくした
ヒンドゥー教に対しての
禁止事項 禁止事項
幼児婚の禁止
夫が死んだ場合妻も死ぬ 寡婦殉死の禁止
マヌ法典に女性が男性に使えるべきと書いてある
マン サブダーリー
ヘルシア語
2階 くらいの持ち主
土地の町 徴税券を個人に認めるもの
ただし 兵隊を準備しなくてはいけない
世襲はできない
アクバル 体験の息子サリー厶
家にジャーハン ギールと名前を変える 白バルと仲が悪かった
ジャーハン 36歳で即位
宝石の鑑定と酒が趣味だった
仕事よりも優先された
宗教についてもあまり興味はなかったらしい
ジャーハンギールがアルコール中毒などの影響で体調が悪化してくると息子たちにが多い 継承の争いを起こし 始める
三男 シャージャーハンが即位
タージマハル
シャージャー ハーンが愛した 妃の1人の墓
ムガール帝国 は半島を拡大した
収入は増えたが 支出も増えた
マン サブダール 領土と 徴税権を与えすぎた
イスラーム 寄りになり ヒンドゥー教 弾圧する
チャージャー ハーンの子供4人でもまた 争う
4段 アウラングゼーブ
兄弟長男の首を切って 父親の食卓に送るなどした
ストイックに働き 40歳で即位し90歳まで仕事をしていた
ムスリムの立場を復活させた
ジゼアの復活
物理 以外への課税
アウラングゼーブの最後 自分の人生は失敗だったと感じていた
イギリスの進出
その前に 大航海時代が始まっている
ヨーロッパでは ポルトガルがインドに初めて 進出したバスコ ダ ガマ
インドからすると後発 でやってきた 取引相手みたいな感じ
経済的な理由と宗教的な意欲から航海を行っていた
香辛料が特に リターンが大きかった
インドのカリカット 今のコジコード
胡椒の輸出口として栄えた
インドの港は公の海 公開として商業的に開放していたが ポルトガルは独占をするモチベーションでやってきた
しかし 献上品がショボかったこともあり 相手にされなかった
後に武力での支配につながっていく
ポルトガル 海の拠点を 武力で世界に増やして行った
内陸は支配していない
オランダに覇権を取られていく
各国が交易のための東インド会社を作った
オランダの 東インド会社が 金もあり強かった
香料の工場も現地に作っていた
イギリスの 東インド会社は小さかったためインドではなく 香料を得るために インドネシアに貿易を行っていた
オランダは 広陵 諸島での支配を強めるため イギリスや日本人の首を切った アンボイナ事件
イギリスは香料諸島から離れ、インドへ
香料とともに インドの面 織物を大量に購入していた
織物は 香料の生産元人間の代わりに出していたものであるが ヨーロッパでも売れることがわかった
イギリスが台頭してくる頃 アウラングゼーブ帝の時
後継者争いで身内の争いが起こって 国力が下がる
オスマン帝国では兄弟での殺し合いが ルールになり正当化されていたため 混乱が少なかった
フランスも イギリスに数十年遅れてインドにやってきた
イギリスとフランスが戦争し始める インドでもその流れで イギリスとフランスが戦う 第1次カーナティック戦争
フランスが勝つ
フランスとインドが少し 戦い インドが弱いことがばれてしまう
第2次カーナティック戦争
フランス イギリスがインドの政治に介入してくる
プラシーの戦い
イギリスが勝利し インドの中で イギリスの発言力が増してくる
イギリスがインドの3 州を獲得した 徴税権なども持っていた
ムガール帝国の皇帝 イギリス東インド会社から年金をもらっていた
ネイボック
インド なりきんのイギリス人
東インド会社 脳も置きになるはずのお金を横領したりで私服を肥やしていた
100人ぐらいの召使いを抱えている人もいた
藩王国
イギリスがインドの諸国を支配下に置き実現は認めるが イギリスが管理している状態
産業革命でイギリスが明後日は 安価に生産できるようになるとそれをインドに売り始めた
インドで木綿職人が廃業 失業した
インドで生産するものがなくなったため コーヒーや アヘンなどを製造し アヘンは中国に売っていた
イギリスに支配されている時にはインドの反乱は分断政策もあり、もともとまとまっていなかったため 小規模の反乱 だった
セポイの乱 インド大反乱 は、まとまった反乱だった
厶ガール皇帝を擁立しての反乱だった
インフィールド銃の火薬の包み紙に牛と豚の油が使われていた
イスラム教 ヒンドゥー教 両方のアウトカースト 扱いになる
海外派兵 インダス川を超えるのは ヒンドゥー教にとっては 近畿だった
藩王国の相続権を取られる
氾濫は鎮圧されムガール皇帝が追放された
イギリスの反省
有色人種は 劣っていて何をしてもダメ そうなので マネージメント方法を変える必要があるという方向の反省
イギリスの 東インド会社からイギリス王家が直接統治するようになる
インド哲学 をイギリス側も勉強し始めるが その内容の良さを理解しつつも それは アーリア人が作ったものという風に 解釈をした
イギリスの兵士を増やし インド人の兵士を減らした
反乱しにくいように再編成した
イギリス側の反王国は発展していた鉄道や電気網なども作っていった
大学も作り その中からガンディが出てくる