ニコラテスラ
ニコラテスラ
エジソンと同世代の人
電気の魔術師
ゴッホとも 同年代
潔癖症だった
14枚のナプキンを用意させてそれで食器を順番に 拭いてナプキンを床に落とす 儀式を毎食 やっていたり
1856年 オーストリア ハンガリー帝国で生まれる
今のクロアチア共和国にある村
セルビア人の防人 が 先祖
父親はクリスチャン 敬虔な人
母親も 聖職者ではあるが読み書きができなかった
テスラの祖母が目が見えなくなってその世話をすることで勉強する時間がなかった
ラジオ 便利にする道具を色々発明したりとか 刺繍も得意で記憶力もすごかった
兄はとても頭が良かったが12歳で亡くなった
馬の事故
テスラは兄の代わりに兄がなさすぎるべきだったことを達成しようという思いが強くなった
4歳で水車を作ったり 昆虫のモーターみたいなのを作ったり
小さい頃から色々発明をしていた
凶暴のポンプを披露する会があったが 水が出なかった原因を突き止めて川に飛び込んで ホースのねじれを直した
幼少期から幻覚があった
イメージしたものが3次元的に目の前に現れる
数学の問題を解くには 有効だった
部品の設計や シミュレーションなどは脳内でほとんどできる状態だった
小さい雪だるまの転がして大きな塊になって落ちていくということが 小さいエネルギーで最終的には大きなものを動かせるという考え方の元になったと思われる
ナイアガラの滝にも興味を持った
親戚に将来銘柄の滝でエネルギーを作ると宣言していた
30年後 それが現実となった
第2次産業革命 第一次世界対戦前まで
電話電信 内燃機関 長期戦 や鉄道の航路 などが発展してきた
科学が産業の発展に不可欠になってきた
バンコク博覧会 万博が重要だった
エッフェル塔はパリ万博 用に作った建物
工学 系の教育も体系出せられて整備されてきた
蒸気機関がエネルギーのメインであったが 次世代のエネルギーとして電気が注目され始めていた時代
テスラと電気の出会い
幼い頃 3歳が4歳頃に猫をなでていて 静電気が走った
高校の物理の先生の電気の実験が面白かった
それ以降 電気を中心に生活したかった
両親は テスラの健康上の理由から 聖職者への道を希望していた
兵役の3年間の障害になった
コレラ で 9ヶ月 倒れていた
電気工学の勉強がしたいと言って意識を失った
父親がエンジニアの道を認める旨の発言をするとテスラは回復したとされている
オーストリアの工業大学 名進学した
オスマン 帝国との防人の家系でもらえる奨学金がもらえていた
途中で遅番 帝国の衰退 も関連して奨学金がもらえなくなり 学業の継続が困難になった
ギャンブルで金銭面をカバーしようとしたが失敗し 素行不良 とみなされて大学を退学した
当時 アメリカで電話の授業が進んでいて ヨーロッパに新規開拓 予定で 死者を作る予定エジソンの会社
ブダペストに設立予定だったが何もできる前にテスラは尋ねてしまった
電話局にはなんとかエンジニアとして入ることができた
社員にテスラ家の友人がいた
仕事に集中しすぎて睡眠もあまり取ってなかった
精神的にも 病的になる
感覚過敏が強烈になった
26歳の時に 働きながら交流で動く モーターの基本原理を発明する
モーターの発明によって電気の普及にもつながった
電気の発電 送電 利用などが資本主義に乗った時に初めて 普及していく
電気の直流 交流
電池の電力は直流
交流は概念的に理解が難しく 扱いやすかった 直流から普及が始まった
直流 だと電圧を変化させづらく 高電圧 低電流での送電が必要になる 送電網には不向きだった
直流の発電所から半径3km 以内 ぐらいしか活用できなかった
交流の研究は進んでいた
送電方法や照明などの研究はされていた
しかし 交流で動く モーターがまだなかったため 能力の電力需要が大きく 投資家の期待に応えられなかっ
エジソンは発電の事業と明かりの電灯の事業をやっていたので 発電所を建てることで 直流の欠点を補おうとしていた
交流のモーターがまだなかったため 社会での普及につながらなかった
大学の授業で直流モーターを実験があったが 火花が出るのが気に食わなかった 今日中にいい家も仕立てをすると教授からは交流モーターの実現は難しいという丁寧な説明があった
テスラはずっと交流について考えていて ついに 交流モーターを実現する 2層交流モーターを思いついた
回転磁界の発見とその実用化が新しかった
電話局からパリのエジソン関連の会社に転職
発電機 モーターなどの製造も行っている
当時はエジソンが絶頂の時期で テスラもエジソンへの憧れがあった
直流の電気設備のメンテナンスなどを行っていた
テスラが出張先で交流モーターの試作に取りかかった
数ヶ月 または1年程度かかったという文献がある
視察機は交流の電圧でちゃんと晴天 逆転したが それをプレゼンテーションしても理解されなかった
出張の成果報酬を支払われなかったため 会社を辞めることになった
紹介状を書いてもらい アメリカのエジソンの元に向かう
家財を売り払ったが財布を失い ほぼ無一文
初対面でエジソンに向かって交流の未来を力説したがエジソンからは 反感を受ける
テスラは優秀だったが最終的にはエジソンと別れてしまう
テスラは自分の会社を立ち上げたが今日の 煽りを受けて畳んでしまう
日雇いで働いていたところ スポンサーを紹介された
直流 派閥と交流 派閥の競争になっていく
まだ交流は流せる電流が少ない などの問題があった
テスラは自分の会社で交流モーターの製造や 発電機などの設計を行った
交流のシステムに関する複数の特許を取った
三相交流も含む多層交流の実証も行った
実際に三相交流の発電機などを作ったのは ロシアの技術者
電気工学の講演会に招待された
交流の実装には少し時間がかかる
ウェスティングハウス がテスラの支援を行った
エジソンは交流のネガティブキャンペーンをしていた
最初の交流の製品は交流モーターを使った扇風機
最初に作ってから30年ぐらいあと 第1世界対戦後に家庭に普及し始めた
ウェスティングハウスは今日のため 買収されることになる
投資顧問からテスラ への特許使用料の支払い踏み倒す 用 助言される
ウェスティングハウスはテスラに相談しに行く
テスラはこれまでの支援に感謝し 特許使用料支払いの契約書を破り捨てた
徐々に交流の電力が受け入れられ始めた
アメリカで10年ぐらいかけて 直流から交流への置き換えが進む
シカゴ万博
ナイアガラの滝の発電所
交流の優位性をアピールした
テスラは交流の次に扱った 電磁気 関係の研究にも注力する
高周波 高電圧を発生させる テスラコイルで有名
今は直流と交流 つらも必要に応じ 使い分けられている
洋上風力発電から地上への電力送電は直流の方がロスが少ないらしい
にゃんにゃんさんの感想
世界の変化は一般人には 感知できない
それでも世界は変わっていくし 人は生活していく
テスラは1943年 ニューヨークのホテルの一室でなくなる
人付き合いはあまりせず 鳩を愛していた
大型のビルも建築されていて モーターも社会に普及している
世界を作った天才がなくなる 時には 世界の誰も意識していない
世界のあり方のように感じた