発電ウォシュレットの秘密
多くの人が喫茶店のトイレなどで、下の写真のようなウォシュレットのコントローラーをみかけたことがあると思う。しかし,なかなかしゃれたデザインだなあ、とは思うが他のコントローラーとの違いはそれほど気にせずに使っている人がほとんどではなかろうか。実は,このコントローラーには隠れた秘密があって、なんと、電源を必要としないのである。いや、第一種永久機関というわけではない。エネルギー源は人間が( 別に人間でなくても、猫でもトイレの花子さんでもいいけど)ボタンを押す力なのだそうだ。
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このコントローラーを使ったことがある人なら思い出してもらいたい。ボタンを押すときに他のコントローラーとちがって、クリック感というか、カチッと言う感じの抵抗があったでしょう? 実はこの「 カチッ」の微弱なエネルギーで発電して、どのボタンを押したかの信号を電波で便座の親機に伝えているそうな。これはすごい技術だと思いません?「ウォシュレット + 発電」などで検索すると開発秘話がいくつかでてくる。
しかし、すごい技術であるのは認めるのだが、冷静に考えると,喫茶店や個人宅などでは不必要な技術ではなかろうか。だって、単4の小さな電池でも、この用途には年単位で交換不要である。あなたのお宅のウォッシュレットの電池を最後に交換したのはいつかおぼえてますか? ボタンを押したくらいのエネルギーで用が足りるということは、電池にしたら極めて少ない消費量で大丈夫ということだ。もともと,この製品は公衆トイレなどのために開発されたらしく,電池交換時期の把握などが困難な状況を想定していたらしい。
しかし,喫茶店や個人宅などでもそれなりに普及しているようだ。個人用途で使うとすると,コントローラーの電池がなくなったとしても、その一回だけトイレットペーパーでしのげばいいわけで、トイレットペーパーそのものが無くなるというような致命的な窮地にはおちいらない。さらに,もし、どうしても電池切れがいやならば、予備の電池をもう一つバックアップに用意して、ひとつめが切れそうになったらアラームを出すようにすればいいだけだ。そういう製品がないということは(よく知らないけど,ないよね),「どうしても電池切れがいや」という需要は少ないのであろう。
そして、この発電コントローラーは電池給電にくらべて、決定的に劣る点がある。それは親機からの信号をうけられないということだ。こちらから一方的にスイッチオンなどの司令は出せるが、親機がいまどういう状態化を知る手段がない。いま、オンなのかオフなのか、水勢はどの程度なのか、という情報を親機からうけとって表示することができないのである。したがって、トータルの使い勝手としては電池式のほうが勝るだろう。
だが,筆者はそれでもこの発電コントローラーには価値があると思う。その価値とは,技術者の心意気である。だって,人間が押した「カチッ」だけで発電して通信するって,すごいことだと思いません? そのすごいことを,数々の困難をのりこえて(開発には3年かかったそうだ)実現してしまうというのはプロジェクト X 的なロマンだろう。そして,この商品を喫茶店などで見かけるということは,これが技術者の自己満足にとどまらず,その心意気が商業的にもアピールしているということではなかろうか。電源のオン・オフや水勢などの表示が出ないという不便があっても,なおかつ「カチッ」で発電するという技術が面白い,という消費者が一定数いるということである(もちろん,消費電力の量的概念がなくて,外部電源を使わないなら「エコ」でお得,と考えてる人もいるだろうが)。
と,ここまで書いてきて,実はこの話題は面白い含意があることに気がついた。基礎科学に従事している研究者(筆者もその末席をけがす者だ)がよく受ける質問に,その研究がなんの役に立つの?,というのがよくある。それに対するひとつの答えに「役に立たなくても,それで多くの人が楽しめる研究なら価値があるはず」というのがある。筆者はこれは正しい答えのひとつだと思うが,たとえばビッグバンがいつ起こったか,というような生活から遠くはなれた問題だけではなく,ウォシュレットをどうやってコントロールするか,みたいなすぐに役に立つような研究でも,「ちょっと不便でもクリックで発電するほうが楽しい」という〈役に立つ一辺倒〉ではない価値観があり得るのではなかろうか。
しかし,この話題に踏み込むと,そもそも科学と技術の違いはなにか,とか人文系の学問はどうなるのか,などという話題が際限なくひろがりそうなので,そのうち場所をあらためて書こうと思う。今回はここまで。
(2024/4/29 初稿)