フワリズミとツルカメ
「掛け算に順序はあるのか?」という話題は,いわゆる「良質の燃料」で,SNS などでしょっちゅう炎上している。最近も twitter/X でこのようなやりとりをみかけた。「小学校で習う掛け算は可換です」という@kikmako 氏に対し,@shinji_kono 氏は「かけ算の意味は可換にならない」と反論し,それから「順序問題」のテンプレのような展開になっている。 これを読んで,前から思っていたことを整理して書いてみよう。実は筆者は @kikmako 氏も @shinji_kono 氏もリアルにあったことはないが,前からネット上で存じ上げており(両氏ともかなり有名人),お二人とも鋭い洞察力と深い理解力をお持ちなのは承知している。では何故そんな二人がこうも違う意見になるのだろうか。これは,実は両方とも正しいが,想定している「掛け算」が質的に違うのが原因だと思う。
その違う掛け算とは,フワリズミの掛け算とツルカメの掛け算である。これではなんのこっちゃらわからないが,例としてツルカメ算をとりあげてみよう。だとえばこの問題。ここでの解法をみると,鶴とか亀とかの絵を描いて,具体的に現実の対象をイメージしている。これがツルカメ掛け算である(もちろん,ツルカメもフワリズミもここだけで適当に使っている用語である,誤解なきよう。) それに対してフワリズミ掛け算は実際の現実は忘れて,抽象的な代数演算で答えをもとめる。具体的には鶴と亀の数を x, y という変数であらわし,x + y = 6, 2x + 4y = 20 と式をたてる。それから先はあつかっているのが亀の数か足の数なんてことは全く気にせずに,単に機械的な代数操作をすれば,x = 4,y = 2 が求められる。たとえば 1つ目の式から x = 6 - y を出し,2つ目に代入すると y = 2 が出てきて,これを1つ目に戻すと x = 4 となる。この操作をするときに鶴や亀はまったく必要なく,機械的な式変形の法則さえあればよい。答えがでてきたあとで,「あ,x は鶴だったんだ」と思い出せばよいので,思考の大幅な節約になる。
ちなみにフワリズミとは,「アルゴリズム」という言葉のもとになった中世アラビアの大数学者アル・フワリズミのことで,代数の始祖ともいわれている。代数とは上でみたように求める数を変数として,移行や代入で機械的にそれを求める手法である(少なくとも彼の時代では)。ちなみにこの時代には数式はまだ発明されていなかったので,記述は日常文法だったが,求めるべきものを「根」 (ジャズル jadhr)とか「もの」(ジズル jidhr)とか,具体的な対象物をもたない語であらわし,内容を考えずに単純作業で答えがわかる手続きを開発したのである。この手法の優位性については別の記事で詳しく解説しよう(2024/3/29 現在,準備中)。 フワリズミ掛け算は抽象化されているので,それに代数操作以上の意味はない。だから二つの数を掛けたときの結果がちゃんと定義されていさえすればよく,順序はまったく可換である。それに対して,ツルカメ掛け算で 2 x と書けば,足が2本の鶴が x 羽ということなので,二つの数の意味が違うのを意識しなければならない。これが,冒頭で引用した @shinji_kono 氏の「かけ算の意味は可換にならない」の意図する所だと思う。
ここまでは理解できるが,ここからが微妙である。世の「順序ある派」の論客はこの区別を立式の順序であらわすべし,と主張する。つまり「2 かける x」と「x かける 2」は意味が違うというのである。 これは,もし認めたとしても日本の小学校低学年でしか通じないローカルルールであり,試験でそれに従わないのは誤答とするのはやりすぎだと思う。しかし,もし,まだ抽象思考に慣れていない小学生に教えるのに,ツルカメ掛け算の方がわかりやすいというエビデンスがあるなら(寡聞にしてそういうのは知らないけど),ツルカメ的非可換性は考慮してもいいかもしれない。ただし,それを順序であらわすというのは間違いだと思う。
ちなみに意味を考えなくてはならないツルカメ的な掛け算は他にいろいろなパターンが考えられて,たとえば長方形の縦と横をかけて面積を出すときは,掛ける数と掛けられる数は可換である。つまりツルカメ的掛け算では,その対象によって演算法則を吟味してやることが必要なのである。
最後にこの論争をみていていつも思うのだが,どちらの陣営も,もう少しソフトに議論できないものだろうか。論争は「小学校の教師風情には数学が理解できてない」「実際に子供に接してないやつらになにがわかる」みたいな言葉の応酬になって,感情的な宗教戦争になっている場合がほどんどではなかろうか。もっと建設的に話しあって,「掛け算の数の意味は考えなくてはならないが,逆順にしたら減点にはしなくてもいいよね」あたりの落とし所に落ち着くといいと思う。
質問・コメントなどは twitter/X のアカウント @gandhara16 かメールアドレス tadas@fpu.ac.jp にお願いします。 (2024/3/29 初稿)