なぜものが見えるのか?
参考文献
ギリシャ以前
ラムセス2世(紀元前13〜12世紀,エジプト)の頃の古文書
太陽神ラーの言葉「私こそ眼を開くものである。その眼を開くと光がある。その眼を閉じると闇が訪れる」
神や精霊が起きる現象の原因だったりする。「なぜ」ということを真面目に考えない。
ギリシャ以前の他の文明の多くも似たり寄ったり。
ギリシャ時代
外送説
目からある種の「光線」のようなものが出ていて、それが物体を「まさぐる」ことによって、視覚が生じる。
エンペドクレス,ユークリッドなどが提唱。
いくつかの公理から、実際の現象(近くにあるものは大きく、遠いものは小さく見えるなど)を数学的に演繹。
内送説
物体から、その形状を保持した「薄皮」のようなもの(エイドラ)が流れだし、それが目に入ることによって、視覚が生じる。
デモクリトスなどが提唱
数学的要素はなく、根拠のないいきたりばったりの説明。「エイドラが物体から流れ出しても物体が減らないのは、すぐにまわりから原材料が供給されるから」
媒質説
物体の性質の一部が空間を「染めて」それが目に届く
アリストテレスなのが提唱
どの理論も問題点があるが、あまり気にしない。両者の提唱者は地理的、時間的、社会的に離れているので、あまり論争にはならなかった。
外送説:目から出る「光線」は、遠くの山や月などにも一瞬にして届くのか?
内送説:「薄皮」が目にはいって認識されるなら、なぜ物体の反対側はみえないのか?
日常的に体験する現象を、なんらかの法則で説明しようとする姿勢は科学的。しかし実験などで説の当否をたしかめるということをせずに、それっぽい説明で満足し、矛盾には目をつぶるというのが、ギリシャの限界。
アラビア時代
アル・ハーゼン(イブン・ハイサム)
内送説の改善
物体の各点から四方に「線」がでて,それが目に入って視覚が生じる。
目の表面に垂直に入った「線」だけが感知される。
ルネサンス
ヨハネスケプラー
水晶体(レンズ)による屈折で,網膜に像ができることを解明。