食べるのてつがく
食。食べる。食事。衣食住の食。
と、言っても「食べる事とは何なりや?」という問題の答えは自分の中では出てるんだけどね。今回はその答えを言語を使って掘り下げていく回。
食べる事は、生きる事。だよ。
と、俺は思う。
食べる。衣食住の衣服と食物と住居、のうちの食物。
衣食住と言えば、民俗学って学問領域の主題ではあるけど、今回はあえててつがくしてみよう。
衣食住、とは生活をしていく基礎。
生活、とは、生きて生体として活動すること、特に世の中でくらしてゆくこと。
特にこの、世の中って言うのは、「人間社会の世(界)」の中。という意味だろうか。
この、衣食住の中で最も、「生きていく」事、生きた身体で、に直結する事は何だろうか。
着る。一言で言えば、この(現状の)人間社会に裸でほっぽり出したら「生きて」は行けないだろう。(社会的に死ぬと言うような意味で)
着る、には他の哺乳類や鳥類のような毛皮や羽毛の代わりの体温調節という面もあるが、人間として社会を形成する中で、規律やいろいろの意味を持って「生きていく(特に、人間として)」中では大切だろう。
ただ、これは本当の極論にはなるが、アフリカとかかな、裸族と言われたりするように、裸で、その格好で社会を形成している、「人間」もいる。あまり詳しく無いもんでその辺を安易に断言すれば無知を晒す事になって、なかなかできないんだけれども、要はその時の常識に囚われるわけで、(その辺が民俗学の格好の獲物になる由縁なんだろうが、)着る、という事は生きる事に言うほど直結するかと言えば、俺は今の所そうじゃねーんじゃね?と、思ってる。まあ、俺の推してる作家?柳田國男先生。確か、日本の民俗学の第一人者なんだっけか?うろ覚えだけど。と真っ向からレスバしろとか言われても全然無理だけど。衣食住の格付けで言えば一番上では無いよね、くらいの意味だよ、俺が言いたいのは。
話戻そう。
住む。これも、特に人間社会においては大切。今の社会でも安定した住居を持たない人は、真っ白な目で見られるし、きっと昔もそうだったろうし。と言っても、旅人、なんて言葉があるくらいだから、あーでも、自らの所属する社会を離れて、別の社会への移動過程にある人も指す。ってくらいだし、人間社会で生きているかと言われるとそうだなー。までも住む、も、一番上かと言われればクエスチョンマークなんだよ。俺的にはね。
じゃあ、食べる、は?
まあ、食べる、が無くても最悪なくても生きてけるもんね、行けねーよ。食べるのやめたら死ぬもん。そう言う意味で言えば食べる、はより本能的というか動物的というか。他のあらゆる動物も食べるってことをしてるもんね。あーごめん、食べる以外の要素で栄養取ってる動物いるかも知んないけど。でも、ここで語りたい”食べる“は、もっとずっと、より人間的な行為。
ところで、今さっきこれの書き途中に茹で上がったとうもろこしをむしゃむしゃ食べたんだけどさ、
うめえええええのおおお!!!!
とうもろこしって収穫した瞬間からみるみる内に鮮度が落ちるんだけどさ、ちょうど今日中に収穫されたのを貰ってきたみたいでさ、なんか有名なやつっぽかったけど、まああじで甘さがレベチ。そうじゃ無いやつでも何でも、とにかく農場で採れた瞬間に剥いて茹でたとうもろこし、マジで人生で一回もなかったら是非、食べて欲しい。マジで見方変わるべ!?俺的に夏の夏の収穫物(地上変)ランキングだったら、間違いなく!採れたて剥きたて茹でたてのとうもろこしが一位だと思うね。