争うのてつがく①
争い、コレも普遍的な概念というかなんというかで、哲学の永年のテーマだ訳だ。
争う、たとえばひたすら虐殺の繰り返される終わりなき“戦争”にしろ、あるいは小さな小競り合いにしろ、むしろ例えば子供達が泣きじゃくりながら騒ぐ喧嘩にしろ。人はずっと昔から「争い」続けてきたわけだ。人類学とかはちょっと専門外だもんでわかった様な事は言えないけど、要は「ヒト」として「ヒト社会」を形成する様になってから猿からヒトへと成った訳で、社会を形成するには争い、強弱を定めて、それが社会になるだあーだこーだ。結局争いなんて無くならない訳なんだな。
もし、争いをこの世から無くすには、少なくとも減らせる方法があるとすれば...。
コレは持論だけど、というか人からの引用になるけど、
争いがない世の中は、アフォガートの様なものなんじゃないかな。
Affogato、アフォガート。スイーツの哲学になるが、このスイーツをご存知かな?
甘さの象徴バニラアイスに苦味の究極エスプレッソを注いだ”アフォガード”、とびきりの甘い香りととびきりの苦味の融合。一方のみしか認めずもう一方を受け入れない態度では絶対に辿り着けない、ある境地。究極のアンティノミー。人が皆、お互いを受け入れる心を持っていれば、そうアフォガードのような包容を持っていれば、或いはね。
ところで、うーん、いやこれはただの思いつきなんだけどさ、「affogato」(アフォガード)はイタリア語で「溺れる」という意味をもつらしいね。ただの言葉遊びだけどさ、真実の平和っていうのはお互いに溺れ合う、ドロドロに溶け合った依存のようなものなのかなぁ。”お互い“が存在している以上は或いは争いなんて無くならないのかな...。いや、やめておこっかな。