セクスアリスになぞらえて
学校終わり、電車。一人の同輩と乗り合わせ。
ゴールデンウィークもすぎる五月、孤立が始まり始めている私に気を置いてくれる珍しい男。
というより単に周囲の同調圧力に気づけていない。鈍感さ、ある視点から見れば幸運な一人の同輩であった。
「手話で動物の話題になるとねこ(の手話表現)なら顔を洗う動き、犬なら犬耳を一々作るからこれが大変に萌えなんだよね!」
のような(これが突然脈絡なく繰り出されるのである。)私の好き勝手な話もうんうんと聞いてくれる優しい、
いややっぱり鈍感なのかな?そんな奴。腐るほど世にいるが、彼らはどのようにして女性と付き合うんだろう。私には想像もつかない。
割に、恋の満足を知っている人のような暖かい声を出すから、現生は不思議である。
これはここ一年くらいの知見で、打算や捻りなどなく、ただほんとに根から親切で優しく暖かい人間も、実際この世の中には存在するのだ。
不思議な話だ。まるで世界のどっかの国の、どっかの時代の戦争の話をテレビで見ている時のような心持ちになる。
打算と損得勘定をベースに18年どうにかやってきた私は、魂の無菌室(もちろん、私から見れば、の話になるが、)で生きてきた人間が妬ましくもり、
同時にひどく恐ろしくもある。
あの人の話をしよう
あの人。なんと呼べばいいんだろう。
漱石のこゝろのに準じて他人行儀な頭文字で呼ぶことも憚られるし、と言って、あえて先生や先輩といったようなわかりやすい関係ではない。
関係の上下で言えば少し上で、しかし立場はほぼ変わらない。あの人をあの人と呼ぶのはすまない気もするので、仮に〇〇さん、
とここでは呼ぶ。他に方法がない、そう想像しながら書き記すのでよろしく。
〇〇さん。女性。年上。年齢差は離れていない。私がある団体に所属していた折、関わる事になった。
いつものことながら馴れ合うまでには相当の月日がかかった。初対面からまともに話ができるまでに半年かもう少しかかった。
私はガキだったので、もちろん今でも十二分に未熟であるが、それ以上に純粋さが私を占めていたので、
だから、あの頃は直接顔を見て話ができていたんだと思う。
つまり今は、もうまともに顔も見れない。
あれは恋だったのか。
その事について考え出すと私の頭はひどく混乱するので、特筆すべき事実を順を追って挙げつつ観察していく。
しばらく定期的な集会で顔を合わせていく。週に一回か二回。それを何ヶ月も積み重ねていく。
そしてしばらく経ったある日、団体のイベントのようなものがあったある日。
その数日、集中的に、そして至近距離で過ごし、
純粋な疲労とアドレナリンから互いに遠慮が吹き飛び、そして、一気に距離感が縮んだ。
その時私には恋人が居た。
無論、〇〇さんに対して明確な恋愛感情を自覚していたわけではないし、そんなものを抱ける立場や空気に私はなかった。
今考えてもあれは満たされない承認欲求や自己顕示欲が一時的に満たされ、
恋愛感情というより(心の)表面上は、むしろ友情に近かったと思う。
あるいは、思春期真っ只中の性欲から、女性への興味を持っていたに過ぎないんだと思う。
事実、〇〇さんには私の恋人を紹介してあり(例の距離が近づくまでの半年間の間に、殆ど事故的に)、
本当に恋だったとしてもなんであったとしても、その欲求が満たされることはなかったし、
そんなこと当時の自分にもわかっていたことだった。
しかし、やはり、恋心というにはやはり、気持ちが悪い。
私にとっての恋も気持ちが悪いものだ。だがもっと清潔であり、また〇〇さんも清潔な人であった。
だからこそ、あの時私が〇〇さんに抱いていた感情が、不潔で意地の悪いものだったことが、私にはわかる。
あれはむしろ、興味だった。
興味とは、手の届かざる未知を自らの領域まで堕落させ、貪る下劣な欲求だ。
それは恋心や性欲なんかより、よっぽど穢れ多きもの。
ただの性欲の方がまだ健全だ。実際、制欲がなければ人は恋さえできないのだから!
しかし興味とは穢らわしい。傲慢。不遜。下劣。悪徳。
無論私は付け入った。〇〇さんの優しさに。それを暴きたくて必死になった。
世に善人やら悪人やらあれど、真に芯から善人である人間などいるわけが無かろうと私は心で笑った。
この世の中は穢れ多き世である。穢れぬままに生きれる人間など普通に考えてあり得ない。
善人はその方が都合がいい、自分のシステムに合っていてそう運用しているに過ぎないのだ。
別に心の底から悪人であって世を壊そうと思っているとは言わないが、
誰もが少しづつ他人を利用し損得勘定のもとで生きているのだと。それが普通だ。
普通だった。私の。
これは凄い善人だ、と思った。もちろん多少の損得はある。君主危うきに近寄らず。
自分のできる範囲で頑張る。彼女の姿勢はそうだった。
しかし尻尾を出さないから妙だと思った。善人面のロールで生きている人間は、
必ず少しだけ善人の仮面をずらして悪人相をアピールするものだ。
だってその方が都合がいいから。安心してよと悪人同士のコミュニケーション。私だってよくやる。
それに人に優しくする理由には心当たりがあった。
それは傷である。痛みである。苦しみである。後悔である。恨みである。辛みである。叫びである。憎しみである。
野心として現れることもあるが、私はそれを優しさに見ることがある。
あるいは同情であって、あるいは自分自身の過去の痛みを癒すためであるかもしれないが、
傷を受け、痛みを知り、傷の対処を知っている人間は、しばしば傷つく他人に優しくなるものである。
そういうものである。
私が受けた傷も大きかった。そして深かった。死ぬと思った。傷ついた。
それは孤独であって、必然であったかもしれないし、
それは脱線であって、自業自得であるのかもしれなういし、
それは体罰であって、他と比較すれば鼻で笑えるほどであったとしても。
その傷は深く、容易に私の脳を傷つけた。時間が修復する傷ではない。個人的で深刻な傷である。
これ以上傷つくことはないと思った。安心して未来に希望が持てると、足掻いて居た時だった。
なぜこの人はこんなに優しいんだろう。
なぜこの人はここまで優しくなれたんだろう。どうして善意に満ち溢れる肉体を手に入れることができたのか。
一体どれだけの地獄を過ごしてきたのか。もっと、苦しまないといけないのか?
私は想像もつかなかった。私より、はるか遙かなその優しさを前にして 私は、俄然興味をそそられた。
どこまで底の方を眺めても見当たらない悪意を探して迷子になる感覚に、むしろ私は愉しさを覚えた。
それは自分自身について考え迷い踊り結論を出さずに踊り続ける体験に紐付き、親しみを覚えた。
〇〇さんは酒が飲める年になって未だ男女の関係どころか男と付き合ったことがない女性だった。
だからと言って喪女的であるかと言えば、そうではなく、むしろ私は女性として強い魅力を感じていた。
性格は述べた通りであるし、肉体はストレートにいって巨乳であり、顔も幼さと女性的な魅力に溢れている。
やや自分を卑下する性格上の傾向があるが卑屈というより自分自身の優先順位が低いのだろう。
そのような性格はむしろ男性の価値観として求められてしまうものであり、
これ以上箇条にあげると身内に容易に特定されるし、あげた情報で十分に絞れてしまうと思う。
そこが私にとって恋かどうかを考える、そして混乱する論点ではあるが、
今も当時も強引に性欲なりやと結論付けるのが適切だと確信している。
述べた通り、純粋な思春期の男子を前にあまりに〇〇さんは性的に魅力的であった。
性的に、俗に性行為がしたいや肉欲という意味よりも、
男性が女性に感じうる全体的で満遍なく魅力的であった、という意味でとって欲しい。
もちろん肉体的な欲求は感じたが先述した通りそれが少しでも露見したら
私はその時のただ一つの居場所を簡単に追われていただろうし
(周囲からすればわっかりやすかったかもしれないが、実際問題になってないからよしとする)
それ以上に精神的な面で私は〇〇さんの優しさに満たされた。
私は私の生き方として現状、恋人と共に自分自身に恥じないように、
もし恋人以外の女性または男性であったとしても、性的接触、
それ以前に「恋人の前で到底できないこと」の一才の禁を自分に課していた。それがすなわち浮気であると。
だから女子と話す時だってデレデレした事はない(と思う)し、
思わせぶりなんて事にはならないように異性と関わってきた。
(逆にその余裕がもう少し後にやや大袈裟な女子からの人気を呼ぶ事になるのは、別の機会に語るとしよう)
そんな折、〇〇さんの寝顔を見るに至った。
読者に問う。親族以外の女性の寝顔を見たことがあるだろうか。
条件を追加しよう。膝枕などの一時的な睡眠でもない。(お?喧嘩売ってんのかって?うん。)
朝、お互いが寝起きであるその瞬間である。
ついでに言えば前夜酒が入って(当時私は未成年である、当然〇〇さんが、である)
さらに遠慮がなくなって親しく語らった翌朝である。
なんと、無防備。
眠りから醒め、目を開けた私は、目の前にあるその寝顔を不可抗力的に焼き付けてしまった。
焼きついてしまった。
その後半年、それ以上。私はその一枚の写真の焼き増しに随分苦しむ羽目になる。
流石に今になっては目を閉じて時間をかけないと思い出せないが、時々、不意によぎることがある。
何かことがあったわけじゃない。朝チュンでも読者は想像しただろうか。そういう書き方をしたので。
無論彼女と私の二人だけなはずが無い。団体の仲間と宿代浮かせの為の雑魚寝である。
決定的に何か起こったわけがない。しかし、20になって覚えたての酒を自慢するように飲むその無防備さ、
まるで私が男である事なんて意識していないその様に、少し腹が立った。
でも、仕方のない事だろう、と私は自分を嘲笑った。
例え私が変な気を起こそうものなら団体のゴツい野郎がすっ飛んできてしばかれるだろうし、
第一私の上背と腕力では、その時川の字になって寝た二人の女子大学生にさえ押さえつけられてしまっただろう。
おっと、余罪が増えた。もちろんこの事については事前に彼女に相談済みであったので悪しからず。
面識がある上、流石に私だってそこまで馬鹿じゃないと信頼か、はたまたヘタレとタカを括られたか、
まあ実際何もなかったんだから、なんて事はないんだが。
そう、何もなかった。
私の網膜に刻まれた、その寝顔。私は恋人の寝顔を見る前だった。
刺激的だった。それ以前に衝撃的であった。
これが女性の一番無防備な表情か。化粧だってしていない。なんの警戒もない。
それはセックスの驚きなど有に超えていた。あんなもの大した刺激ではない。経験にも数えられない。
明らかに、私の価値観や何かに揺らぎを与えるような、驚き。
私はあれからしばらくして、〇〇さんの顔などろくに見れない。
なぜか?簡単、見ればあの寝顔とその時体験した衝撃が脳を揺らすからだ。
結局、それからしばらくして。本当に、純粋な善人がこの世にはいる事が分かって参った。
もちろんその結論は〇〇さんから得たものだ。
今にして考えると、あの寝顔の衝撃が私の価値観に物理的で直接的な刺激を与え、
そのショックからこの結論へ辿り着くことで強引にそれ以上の受難を避けたとも考えられる。
環境的要因、先天的要因、それから後天的な要因。十分に条件が揃えば、
つまり理論上の精神の無菌室に置かれる事によって、その魂は穢れる事なく、
穢れが付着したとしてもその程度のままで抑えられるようになる。
適当なそれっぽい言葉を並べちゃいるが、つまりは今の自分が出来上がったのはたまたまで
他人もたまたまその形に出来上がっている。偶然の産物、それが人間の精神であり、魂。
少なくとも〇〇さんが持ち合わせていたその極めて純度の高い優しさと偶然性は、
私のような痴れ者が触れていい神秘ではなかったのだ。
という結論に至ったから、と言って、特段〇〇さんを避けたりは私はしなかった。
むしろ私は自分自身の卑劣さを認め、満たされた興味と共に、しばらく彼女と関わり続けた。
もちろん、団体にいる歳の近い気の置けない仲間として、である。
ただ彼女の学業も佳境に差し掛かり団体に顔を出さなくなり、
私もまた新たな学び屋に移り大きな目標を立てそれに向けて邁進する為に、団体を離れる日も近い。
私と〇〇さんはどこまで親しくなっても所詮は団体の仲間でしかなく、そことの関わりが薄まれば顔も合わせない。
そんなものだ。しかしこんな形で、あい、やはり恋よりも陰気な悪徳をした報いは来るのだ。
自分と同じように、欺瞞と作為を元手に他人を疑わなければ済まない恋人と、
未熟で身勝手でしかしそれでも共に生きたいと叫んだ恋人を抱いて、
ふと、私はあの人の事を思い出していた。
きっと幸せな恋が彼女を待っている。祝福しよう。ささやかな愛を祈ろう。
できれば私のような悪人に騙される事なく、引き合わせのように善人と一緒になって欲しいと。
本を借りる約束をしたんだ。
共通の話題は、本だった。
本を人に読ませるというのは頭の中を覗かせるのと同然で、
裸になるより恥ずかしいことで、
何より特別に、特別なことだ。
あの人は自分が本を借りるのは汚すのが怖いからと断ったが、
読ませたい本は沢山あるから今度顔出す時に持っていくと、
3年か5年くらいだったら借りっぱなしで構わないよと言った。
特別に、優しい人だと思った。
本はまだ借りれていない。
そこから顔を合わせていない、お互い忙しいから。
しかし、その約束が間違いなく今日も私を生き延びさせている。
ああ、あの人は、生きてる価値がある人だと思う。