どもがよ Advent Calendar 2021 自己紹介的な何か
本業は自営業に該当するので、無職を名乗ったりすることもあります。なぜ自営業が無職を名乗るかについては神様のメモ帳を参照してください。一応フリーランスのソフトウェアエンジニアですが、仕事のない時は実際無職と変わりなかったりします。 どもがよサーバーにはクイズに釣られてやってきました。Among us以外のことは割となんでも首を突っ込んでいる気がします。
アドベントカレンダーなので、これまでの個人制作物を振り返ってみたいと思います。
2012年くらいに作成。「貧民パンを食べながらハッカソンをしよう」とう謎企画で作ったものだった気がする。
いわゆる難解プログラミング言語の一種になります。実行コード自体を実行時に変更できるのが特徴だった気がするけれど、言語の詳細は作った本人も忘れてる。 前年にアニマス放送があり、モバマスも始まったところでアイマスに一番ハマっていた頃だったのでこのネタにしたんだと思う。
2013年くらいに作成したかもしれない。カタンの初期配置検討用ツールで、当時勤めていた会社のボードゲーム同好会(非公式というか地下組織)向けに作った。社のオフィスで朝日を拝むまでカタンをやるようなキ…イどもがよだったので、社内チャットで昼間からカタンの戦術を語っていたりした。面子に本職アーティストがいて、タイルのデザインを提供してもらったのでここだけめちゃくちゃリッチになってる。あとこの時のつながりで「カタンサバイバルタクティクス」に寄稿したりもした。 2014年くらいのゲームマーケットで、カタンフリークスに委託扱いで出した気がする。当時「量子将棋」などがあり、じゃあそれのドミニオン版作れるのでは?という自明な発想を世界で一番最初に実装した。当時のドミニオン界隈ではそれなりに話題になっていたようで、木ドミ勢もプレイ経験者は結構いたはず。というかドミニオンのカードプール全てを記憶していることが前提のゲームなので、ドミニオンガチ勢でもないと遊べない代物だった。3年くらい前のゲームマーケットで「量子ドミニオンの頃からファンでした」というフォロワーが来てくれて、世に出したものって意外と残るものなんだなと感慨深くなったりした。 女の子を導く空気存在になって、自分の推す女の子組を運命のカップルにする百合ボードゲーム。2016年の1月に「クレムリンで百合ゲー作りたいな~」と思いついてその年末のゲームマーケットで完成品を出した。開発中のコードネームはまんま「百合クレムリン」だったのが、正式タイトルの「百合紅」にそのままつながった。当初は100部刷って売り切ったら終わりのつもりだったのだけど、翌2017年のゲームマーケット春にすごい勢いで完売してしまったのを見て「一生分」を増刷をした。 「百合ボードゲームの市場があることを示して百合ボドゲがいっぱい世に出て欲しい、自分で作らなくても百合ボドゲを遊べる世界になって欲しい」という密かな目標もあった。先日のゲムマで百合ボドゲを出した人に先達として挙げていただいて、目標達成に一歩は進んでいたことは判明した。それでも百合ボドゲはまだ片手で把握できる程度しか存在していないようなので、早く追いきれないくらい百合ボドゲが出る世界になって欲しい。
その他黒歴史系
はてなダイアリー
00年代、学生の頃にはてな村民をやっていた。評論的なことを一生分やった結果、評論は虚無!という価値観になった。作文能力の基礎づくりにはなったので、私のはてなは安らかに眠って欲しい。
「百合と触手」
2015年くらいのゲームマーケットで頒布した。タイトル出落ちの実質死産。ちゃんとしたものを作れず、試作版みたいなお手製残念物を500円とかで頒布した記憶がある。百合と触手というコンセプト自体は今でもアリだと思っているので、何かのタイミングでネクロマンスしたいと思ってる。
「ナナユリクレバ」
確か2016年の夏コミあたりで、試作品扱いで頒布した。百合紅の前駆体。ゲームの基本ルールは百合紅とほぼ一緒だったけれど、コンポーネントは自家印刷紙製で百合紅名物のグチャグチャ相関図もないものだった。夏コミをステップレースならぬステップイベントに使えたことで同年秋のゲームマーケットで百合紅を出せたので、制作者的には大事な一歩だった。
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こうして見ると黒歴史系が後の成果の肥やしになっているんだなあ…という気づきを得られたアドカレでした。肥やしなので臭いしグチャグチャしていて敢えて拾いたくはないものなんですけど。