普遍的な文章を書くのは難しいし、無自覚な繰り返しから逃れるのは難しいけれど、テクノロジーを最大限活用して解決していきたい
2024/02/28
2024/02/29
noteの記事をscrapboxに取り込んでいた。
発信活動を今一度頑張っていこうと思う中で、noteを振り返っていると、ここ最近考えていることと酷似していることに気がついてくる。賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ(が、本当の愚者は何からも学ばない)。というが、せめて愚者くらいにはなっておきたいものだったけれど、自分は本当の愚者なのかもしれない。また無自覚の繰り返しに自覚的になることというのも大切だ。この辺はテクノロジーを使って解決するしかないのだろうな、と思う。notionAIとかはまだ使えていないけれど、ちょっとこの辺もしっかり繋いでいこうと思う。
自分が過去に同じことを書いたかどうかというのをしっかりと自覚的になるには、多分AIの助けが必要なのだろうと思う。問題は繰り返したかどうかではない。それに自覚的かどうかである。そもそもこの長めのタイトルということ自体、正しいアプローチなのだろうか?もう少しフォーカスを狭く絞る。具体的には作品(書籍など)だとか、自分用語みたいなフォーカスで話していく方が良いのではないか、とも考え始めている。日々の習慣としてこのアプローチは大切ではあるけれど、多分こちらも並行して進めていく必要があるな、と感じた。
偶発性を設計している時点でそれに偶発性はないのではないか?