メタファーとしての保存食
ご質問ありがとうございます。「繋がっているが固定されていない」という概念について、「保存食」の方面からも、ソースの情報とこれまでの会話を踏まえて考察します。
保存食を作るという行為は、特定の時期に収穫された食材を加工し、時間や場所の制約を超えてその食材を保ち、利用可能にすることです。これは、ある存在(食材、そしてそれに付随する記憶や文化、繋がり)との関係性を「繋ぎながらも」、本来それらが固定されていた時間や場所から解放するという点で、「繋がっているが固定されていない」という概念と深く関連付けられます。
ソースの中で、筆者は「保存食の取材に行く」、「らっきょう酢漬けを作る」、「梅干しをつくる」 といった項目を挙げています。これらは、筆者の「やりたいことリスト」や「目標」のようなものとして示されており、保存食というテーマへの関心が見られます。
これらの行為が示唆する「繋がっているが固定されていない」状態は、以下のように考えることができます。
1. 時間からの解放と繋がり: 保存食は、旬の時期に収穫された食材を、その時期が過ぎても楽しめるようにします。これは、特定の「時間」に固定されることなく、食材との繋がりを継続させる行為です。これまでの会話で触れた、日記やアウトプットシステム構築の試みも、デジタル空間での「時間の破壊」 に抗い、「t軸を自分の手に取り戻す」 試みとして、時間との新しい関係性を築こうとしています。保存食は、過去の経験や食材との繋がりを、現在の生活に取り込み、未来へと繋いでいく点で、自己の時間軸を確保・維持する手段の一つとも解釈できます。
2. 場所からの解放と繋がり: 保存食は、特定の場所で採れた食材を、別の場所で利用することを可能にします。これは、食材とその産地との繋がりを保ちながらも、物理的な場所への固着から解放されることを意味します。ソースでは、筆者が「単身東京に来たりして」 物理的に移動したり、場所にとらわれずに続けられるTwitterでの活動「#今日の種まき」を大切にしたりしています。また、現代人が地方移住やワーケーションを通じてバランスを探っている ことにも言及があります。これらの行動は、特定の場所に「固定」されず、多様な場所や環境との「繋がり」を柔軟に持つことを志向しており、保存食が場所の記憶や風味を持ち運び可能にする性質と通じるものがあると言えるでしょう。
3. 自己の基盤と外部との繋がり: 保存食を作る過程では、自己の知識や技術、手間といった内的なリソースが用いられます。これは、自己という基盤(これまでの会話で用いた比喩で言えば「係留」の錨)を強化する側面です。同時に、完成した保存食は、自分自身の生活を豊かにするだけでなく、他者との交流のきっかけとなったり、食文化というより広範な「繋がり」の中に自己を位置付けたりすることにも繋がります(会話で触れた個人主義が「他者と共に在りたい」という願望 や「共に生きる個」 である点と関連)。保存食は、自己の内側で育まれたものを、外部世界との繋がりを開くための媒介(「気球」のように広がる可能性)として用いることができるのです。
これらの点から、「保存食」を作る、あるいは関心を持つという行為は、単に食料を確保するだけでなく、時間や場所に縛られずに自己の活動や繋がりを維持・発展させようとする姿勢を示唆していると考えられます。それは、自己という揺るぎない基盤を持ちつつ(「係留」)、環境や他者との多様な繋がりを保ちながら(「ロープ」)、特定の状況や場所に固着せず柔軟にあり方を変えていく(「気球」のように浮かび、移動する)という、「繋がっているが固定されていない」動的な状態を象徴していると言えるでしょう。