スピードを上げ続ける自転車
5歳の時だったか、始めて自転車に乗れるようになった。
確か自分は、補助輪をつけるのが嫌だったから、買ってもらった最初から、補助輪なしで練習をし始めたんだったと思う。
当たり前だけど自転車って二輪なので、ある程度のスピードを出さないと安定しない。乗れるようになって、慣れてくるとスピードを落としても乗り続けられるようにはなるけれど、それでもスピードはある程度あったほうが安心だ。
でも一方で、スピードを上げ続けるのもどうかという話ではある。
スピードが上がった自転車というのは、たしかに安定する一方で、少しの石ころでも転んでしまう可能性が上がったり、万が一転んだ時には、そのスピードの分ダメージも大きくなってしまう。
まあ諸刃の剣だよねって話なのだけれど、これはパズルと圧縮みたいなことにも全く同じことが言えて。
色々なことを詰め込んで、スピードを上げる(日々の密度を高める)ことは、たしかに交友関係も増えたりだとか、収入も増えたりだとか、それによってチャンスも増えたりしてゆく。
でもその一方で、どこかの部分でつまづくようなことがあったりだとか、そちらに体勢が傾きすぎるようなことがあると、転んでしまう可能性も高まってくる。それは具体的には一つの組織に対するストレスが上がりすぎてしまったりだとか、分かりやすくいうならば健康を崩して自転車を漕ぎ続けられなくなってしまったら、そのタイミングでそのサイクリングは破綻してしまうし、スピードを上げ続けた分、また同じ状態に戻ってくるには時間がかかってしまう(もしくは戻って来れない)みたいになってしまうのだろうと思う。
とは言え、人生は有限なのだ。なにもしないでも良いのだけれど、まあやれるだけのことはやろうと思うのだけれど、止まる勇気だとか、補助輪の用意だとかいうのにも、少しずつ気を回していっった方が良いのかもしれないな、なんて思う今日この頃。
連休をとってしまうと位置エネルギーが下がり過ぎてしまうので、ストレスマネジメントの観点からすると逆効果なのかもしれない。
安全なはずの青信号。だけど全ての信号が青になったら、それは世界のどこよりも危険な場所になる。そんな話をとあるアニメで聴いた。僕にとって、都心での生活は青信号。チャンスに満ち溢れていて歩みは早いが、どこか危うい。だから定期的に田舎に赴いて、赤信号に立ち止まるのも必要なんだと思う。